ホタルの独り言 Part 2

ホタルの生態と環境を52年研究し保全活動してます。ホタルだけでなく、様々な昆虫の生態写真や自然風景の写真も掲載しています

桜、散る

2024-04-12 19:49:08 | 風景写真/春

 桜、散る・・・"桜は散り際が最も美しい"と言われているが、果たして、そうだろうか?

 東京の桜は、平年より5日遅い3月29日に咲き始め、4月4日に満開となり、都心では既に「桜、散る」ところがほとんどである。
 "桜散る"この文言を聞くと思い出すのは、高校と大学受験である。受験で不合格になったことを表しているのだ。幸い第一志望校には合格(桜咲く)であったが、何校かは不合格で、試験会場に合格発表を見に行き、自分の受験番号がないのを目の当たりにした時の気持ちは言い表せない。努力の結果が実を結ばず、自分の人生が左右されるのだから、宝くじの当選番号を違って"桜散る"の一言では済まされないこともあろう。
 ちなみに、この言葉が使われ始めたのは1950年代で、早稲田大学の学生が始めた合否電報が最初だったらしい。かつての電報は、カタカナと一部の記号しか送信できず、そのため「サクラサク」あるいは「サクラチル」と送っていた。今は、ネット社会であるから、電報で知らせを聞くこともないかもしれないが、この言葉だけは残っている。
 なぜ、合否の結果に「桜」を使うようになったのだろうか。そもそも桜と日本人の関りは古くからある。日本人が桜を愛でていた記録は多く残っており、今から千年以上前に書かれた日本最古の歴史書である「古事記」や「日本書紀」にも登場し、万葉集では「春を象徴する花」として数多く描かれている。また一説によれば、「サクラ」という名前の「サ」は「サ神」を表しており、これは「田んぼの神様」を意味し、「クラ」 は神様が鎮座する「台座」のことで、『田んぼの神が宿る木』が由来のようである。
 古来より桜の美しさ、可憐さに心惹かれ、また春の訪れを告げる神や精霊が宿る存在と考えられていたり、はかなく散ってゆく命の短さから死生観を考えたりする対象となってきたのである。現在でも、春のお花見シーズンが近づいてくると「桜の開花予想」が毎日報じられ、いつが見ごろとなるかも注目の的となる。お花見はインバウンド(訪日外国人旅行)にも拡大し、インタビューの様子を報道で見ることが多いが、可憐で美しい薄いピンク色の花が一斉に咲くと春の訪れを感じることは同じでも、咲き始めるとあっという間に散ってしまうことに儚さを覚えるのは、日本の文化からくる日本人ならではの感性で、DNAに深く刻み込まれているのだと思う。

 "桜は散り際が最も美しい"と言われているが、果たして、そうだろうか?

 桜は、散る間際になると満開の時よりも花弁の色、特に中心部が濃いピンク色になる。植物学的に、そういう仕組みになっているが、我々の色彩感覚からすれば、散り際の方が美しく見えるだろう。しかし、"桜は散り際が最も美しい"と言われる所以は、色彩だけではなく、無常に消えていく運命の美としての象徴として捉えているいることにある。桜は、イデオロギー政策を展開する明治時代では「国(天皇)のために桜のように散れ」という大和魂の象徴となる。さらに、昭和になって太平洋戦争が始まると国民を挙げて『同期の桜』に代表されるような数限りないほどの「散る桜」が歌われた。桜の花のように散りゆくことは、大和男子の美徳と教えられ、大戦においては特攻の悲劇を生んだのである。
 江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、良寛の辞世の句に「散る桜 残る桜も 散る桜」がある。桜は咲いた瞬間から、やがて散りゆく運命を背負う。散っていく桜があれば、未だ美しく咲き放っている桜もある。しかし、結局どちらも最終的に散るのだ。「命が燃え尽きようとしている時、たとえ命が長らえたところで、それもまた散りゆく命に変わりはない」と良寛は言い切る。この句は、戦時中の特攻隊でも、隊員たちが自身を重ね用いたとも伝えられている。国のため桜の咲く時期に出撃した特攻隊員たちは、軍服に桜の枝をさし、桜の枝をふりながら、飛行場を飛び立っていったという。当時の新聞記事には「いまぞ散る“誇の桜”汚すまい特攻魂」との見出しがあり、散る桜にたとえられていたのである。

 世界では、終わりの見えない戦争が続いているが、日本は戦後75年経ち、時代は昭和から平成、令和へと変わり、当時の戦争は「記憶」から「記録」へと変わりつつある。戦争を知らない世代の私でも過去の歴史に思いを馳せると靖国神社で散る桜を見ることは忍びないが、公園の桜、散る下で、ビールを飲みながら楽しそうに宴会をしている若いサラリーマンを見ると、古来から引き継ぐDNAにも変化が見られるようだ。生物学では長らく、DNAの中にある膨大な遺伝子は、生涯を通じて変わることがないと考えられていたが、近年の研究では、環境的な変化が遺伝子のスイッチを切り替えることが分かっている。きっと彼らは受験戦争を勝ち抜き、サクラチル経験のない企業戦士なのかもしれない。
 どうであれ、花は咲いてこそ花であり、美しい。散り際が美しいとすれば、生き抜いてこそである。ならば、咲いている今を、思いっきり輝こうではないか。

 さて、私事ではありますが、4月10日で還暦となりました。気持ちは20代ですが、あっという間に60年が過ぎました。また、前日の9日をもって28年間務めてきた会社を定年退職しました。自宅に5時間しかいられない毎日が何年も続いたり、癌になったり・・・色々ありましたが、何とか勤め上げました。お世話になった方々に対して、この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。
 この日は、桜、散る日ではありません。人生100年時代、まだまだ咲いていたい。満開はこれからだと思っています。また、別の仕事も始めますが、ライフワークであるホタルの研究と保全に全力を尽くしたいと思っています。どうぞ、これからも今までと変わらぬお付き合いをお願いしたいと思います。

以下の掲載写真は、1920×1080ピクセルで投稿しています。写真をクリックしますと別窓で拡大表示されます。

山桜・花吹雪の写真
山桜・花吹雪
Canon EOS 7D / TAMRON SP AF70-200mm F/2.8 Di LD (IF) MACRO / 絞り優先AE F2.8 1/1250秒 ISO 200 +1/3EV(撮影地:東京都 2016.4.16 11:05)
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2 コメント

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Unknown (赤石)
2024-04-12 20:46:45
silent2021.net/
こんばんは。
とても幻想的な桜ですね。
桜にまつわる興味深いお話もありがとうございました。
Unknown (古河)
2024-04-12 21:07:03
ご覧いただきありがとうございます。
写真を撮った時には、ただ単に山櫻と舞い散る花びらを表現したかっただけなのですが、ふと「桜が散る」ことに色々と思いを馳せて書き綴ってみました。

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