若葉は、春に芽吹いてまだ間もないころの柔らかい葉を指す。新緑も好きだが、このまだ若い木々の色が好きで、いつもカメラを向けてしまう。百花繚乱の賑わいがひと段落した雑木林は、若葉色で蔽われる。と言っても、一色ではない。そこには木々1本1本の限りない濃淡の差や明暗のニュアンスがある。そして、それらが調和し瑞々しい風景を作り出しているが、この若葉の時は、短い。生命力あふれる木々の葉は、成長して青々と茂る青葉になり、雑木林はより一層生気に満ちた色彩へと変わっていく。その瞬間瞬間の素晴らしさに惹かれているのだろう。
若葉という言葉は、木々の葉だけでなく、若者や子供、新しさなど、様々なものを表現する際にも使われる。私がすぐに思いつくのは、車の免許を取得したばかりの方が付ける初心者マーク(若葉マーク)。他にも保育園や幼稚園の名が「わかば」であったり、若者の支援窓口が「わかば」、町の名前であったりもする。若葉は、今後も成長をする可能性を秘めているという意味があるからだろう。それぞれの個性を出しながらも調和し、子供は木々のようにすくすくと、そして若者、特に新入生や新社会人は一日も早く成長してほしいと思う。
新社会人というと、最近報道番組で取り上げていたことがある。それは入社後すぐにやめてしまう者が多いという現象である。その理由は、「社長や上司との人間関係」や「希望の配属先ではない部署に配属された」あるいは「上司の仕事ぶりに会社の将来性を感じない」等々。38年前の私の時とは、時代がかなり違うようだ。自分にどんな能力があるのかも分からず、即戦力にならないならば、まずは社会人のルールを学び、どんな仕事も1つ1つ覚えるのが私の時代であった。車の若葉マークは一年間付けなければならないのは、法律で決められているから仕方ないが、個人的には、初心者を卒業できるには1年以上の経験が必要だとも感じている。会社を辞めるのは、人それぞれの自由だが、いつまでも「青いな」と言われるようならば、成長していない証拠だ。
これは、日光の山の木々の美しさとともに徳川の威光を言祝いだとして、しばしば非難された句だが、自然の命の輝きを「何と尊いものであろうか、新緑の光を通して見る陽の光は」と素直に、あるがままの情景として捉えてもいる。生命力に満ちた自然の景色は希望を与えてくれ、一筋の光は、様々な思惑を良い方向へと変えてくれるかもしれない。ゴールデンウイークも間近である。五月病になる前に、若葉を見に行ってはいかがだろうか。
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