えりも町郷土資料館ほろいずみ水産の館のBlogです。

襟裳岬やえりもの様子や資料館ほろいずみの活動を紹介しています。

郷土資料館 講演会無事終了しました。

2019年03月01日 15時25分51秒 | 日記
平成31年2月28日に開催したえりも町郷土資料館講演会「1882年(明治15年)襟裳岬近くに難破したイギリス船」(講師:北海道博物館 山田伸一学芸主査)が、無事終了しました。

講演の内容は・・・

香港を出港したイギリス船籍メリータサム号は、1884年4月10日の朝、襟裳岬近くのテスケに座礁。乗客乗員約700名が幌泉村(現:えりも町)に約50日滞在した。乗客はアメリカ大陸の鉄道敷設工事に新天地を求めた清国人。ポートランドへ向かっていた矢先の遭難。

海岸線に道路もない時代。幌泉には電信線もない時代。住民はおにぎりなどを作り提供した。お腹を空かしていたのか魚の盗難もあった。昆布を干していた清国人もいた。

6月1日ようやく工務省の明治丸(灯台建設に従事していた)が幌泉に来航。遭難民を函館に移送した。
応急修理したメリータサム号は、曳航中、浸水し幌泉付近にて沈没。

メリータサム号は、香港~長崎~日本海~津軽海峡~襟裳岬沖~ポートランドの経路を予定していた。
海峡は海の境界、移動の通路、アジアと北米を結ぶ通路であることを認識、とのお話でした。


4月10日に発生した遭難、その日、英語を話せる函館の商人が滞在していた!
幌泉の警部は札幌に報告に出向き14日に到着し報告。翌日には職員を幌泉に派遣、18日到着!スピーディーだな~

幌泉の住民は700名もの遭難民を分宿させ世話をした。「御備官米」があったらこそできたこと。

でも、言葉が通じない遭難民へのお世話。厳しい自然の地域で、助け合い暮らしていたからこそできたのかな~と感じた。

中国(広東省開平県、新会県など)や北米大陸に、この遭難民の子孫がいるのだろう。幌泉住民の暖かさがつながっているのだろう。
「遠慮はいらないから~温まっていきなよ~」

山田学芸員ありがとうございました!

(中岡利泰)