えりも町郷土資料館ほろいずみ水産の館のBlogです。

襟裳岬やえりもの様子や資料館ほろいずみの活動を紹介しています。

町指定文化財「綱打ち具(つなうちぐ)」

2023年05月24日 12時48分11秒 | 資料館紹介
えりも町指定文化財の「綱打ち具(つなうちぐ)」をご紹介します。


「綱打ち具」は、漁網を作るために使用された道具だそうです。
木製で、建網(たてあみ)【一般的に「定置網(ていちあみ)」と呼ばれる漁具】に使用される藁綱(わらづな)などを撚(よ)りあわせるのに用いられていました。

鏡板と組み合わせて回転させることで、3本の綱を1本の太い綱に撚りあわせます。

写真の3つのうち、1つを拡大して見てみましょう。

右側には、婦意末婦(ぶいます) 番や守(ばんやもり) 源次良(げんじろう) 船頭(せんどう) 豊吉(とよきち)と書かれています。
左側には、慶應四辰年と書かれており、江戸時代の慶応四年(1868年)に製作されたと考えられます。
漢字の表記は、3点で少しずつ異なっています。

「綱打ち具」は、江戸時代において、えりも町で漁業が盛んであったことを示す貴重な民俗資料として、令和5年3月にえりも町文化財に指定されました。
えりも町において、民俗資料の町文化財指定は本例が初めてです。

町指定文化財の「綱打ち具」3点は、郷土資料館の展示室にて、展示中です。
ぜひ実物をご覧ください!

町指定文化財「猿留山道」

2023年03月02日 14時47分15秒 | 資料館紹介
 「猿留山道」は、寛政十一年(1799年)に開削された北海道における最初の官製道路の一つで、重要な文化財であることから、平成21年(2009年)4月1日に町指定文化財第8号に指定されました。
 江戸時代末に蝦夷地(北海道・北方四島など)周辺に出没する外国船(ロシア、アメリカ)などから、蝦夷地を警備するために、情報伝達や物資運搬などが早急にお声なるように、陸路の整備が幕府によって行われ、沼見峠にある石碑2体(妙見神、馬頭歓世音菩薩)は、場所請負人が建立したものです。
 平成30年(2018年)2月13日には、猿留山道と石碑2体が国史跡に格上げ指定されました。
 戦後、新たに開削された区間は、町文化財に指定しています。
 教育委員会では、「猿留山道」を知ってもらうため、年1回(10月頃)に「猿留山道を歩く会」を開催しています。


※「猿留山道を歩く会」の様子


※沼見峠の石碑2体(左:妙見神、右:馬頭歓世音菩薩)


※沼見峠から「豊似湖」を見下ろす

町指定文化財「目黒神社境内の石碑群」

2023年02月19日 15時33分19秒 | 資料館紹介
 「目黒神社境内の石碑群」の石燈篭(いしとうろう)・狛犬(こまいぬ)は、江戸時代に幌泉場所(えりも町)を漁場として発展させた関係者を示す重要な文化財で、平成14年(2002年)3月20日に町指定文化財第7号に指定されました。
 目黒神社は、天保十三年(1842年)に、場所請負人である福島屋杉浦嘉七が建立したものです。
 元治元年(1864年)に奉納された石燈篭二基一対の碑文には、正面に「奉獻(ほうけん)」と刻まれ、写真①には「□場□□□ 中村□太郎 金太郎 熊二郎」、写真②には「セ治人 越後鬼舞 伊吉丸」と刻まれています。

写真①   写真②

 狛犬二基一対は、慶応四年(1866年)に奉納され、写真③には「番屋守 中村惣太郎 宮石 熊二郎」、写真④には「慶応二年寅年九月吉日」とあります。
写真③

写真④

 この時期の猿留(現在:目黒)地区は、幌泉場所の一部として、福島屋杉浦嘉七(場所請負人)が請け負っており、大漁と航海安全を祈願して、福島屋の番屋守である中村惣太郎が寄進したと考えられます。

※□の部分は、碑から読み取れない部分です。

町指定文化財「當世武大明神」

2023年01月29日 09時47分51秒 | 資料館紹介
 「當世武大明神(とせっぷだいみょうじん)」は、えりも町が江戸時代からコンブ生産地として発展してきた歴史を物語る貴重なもので、平成14年(2002年)3月20日に町指定文化財第6号に指定されました。
 この石碑は、トセップ(えりも町字庶野黄金道路入口付近)のコンブ干場にあり、東側は日高山脈が太平洋へ沈む断崖(黄金道路)となっています。
 そのため、強い西風が吹いても、風が弱く、船舶が風待ちができる小さな入り江になっています。
 江戸時代、本州と蝦夷地を結ぶ北前船も停泊していたと推測できます。
 慶応二年(1866年)に建立され、碑文には、正面に「當世武大明神」、左側に「願主請負人 杦(すぎ)浦嘉七豊明、支配人紋蔵、惣番人中」と刻まれています。
 願主の杦浦嘉七豊明(幌泉場所の場所請負人二代目杉浦嘉七)は、幌泉場所の繁栄と航海の安全を祈願し、この「當世武大明神」を建立奉納したと考えられます。


※修復前の「當世武大明神」


※修復後の「當世武大明神」

町指定文化財「一石一字塔」

2022年11月01日 13時50分42秒 | 資料館紹介
 「一石一字塔」は、百人浜の悲恋沼近くに設置されており、町指定文化財第5号(平成14年(2022年)3月20日)に指定されています。
 「一石一字塔」は、文化三年(1806年)六月に奉納され、建立時は、現在地より庶野側の渚に近い位置に建立されたと考えられます。
 由来は、碑文によると海難者の追善供養ですが、ひいては「法力により安全な航海ができるように」との願いが込められています。
 大正十二年(1923年)小越(現えりも岬)の青年団により、現在地に移設されました。
 礫石経(れきせききょう)などは確認されていません。
 「一石一字塔」の建立には、大法要が施行され、幌泉場所(保呂泉場所)の管長:八谷佐吉や住民が全面的な支援を行ったと考えられます。
 江戸幕府の東蝦夷地での統制を引き締める歴史的行為が幌泉場所で行われた物的証拠として、極めて重要な石碑です。