えりも町郷土資料館ほろいずみ水産の館のBlogです。

襟裳岬やえりもの様子や資料館ほろいずみの活動を紹介しています。

えりも町の石碑・石仏02 鮫供養塔

2015年12月29日 12時56分04秒 | 日記
今回紹介するのは「鮫供養塔」です。



えりも町の「法光寺」にあります。大正十年(1921)建立。

碑文は、表:鮫供養塔、裏:大正十年十一月 鮫釣一同之建 とあります。

鮫漁は、明治から大正にかけて盛んでした。ひれ(ふかひれ)は清国(中国)に輸出され、塩蔵肉は函館方面に販売されていました。もちろん肝油も生産されていたでしょうが、えりも町内の記録は定かではありません。

鮫の種類は「かどざめ」(モウカザメ)でした。鮫供養塔はなんとなくモウカザメの体形に似ています。


ちょっと詳しく・・・

えりも町史(1971)p577によると

「道庁水産課員が日高地方に派遣され、鱶鰭や塩蔵の指導などしたこともあって足長の進歩を見せ、6月初旬から8月まで秋季は11月初めから翌年1月まで、5里(約20km)内外の沖合8~90尋(154-164m)から2~300尋(364~540m)の俗にウミヤナギの生えているところに生息するものとされた。鱶鰭や明骨はともに清国人の貴重な食料として輸出し、鱶肉は塩蔵にして函館方面に販売された。(「植民公報」)

えりも町史には大正十二年(1923)までは、漁獲の一覧の中に「鮫」という記述と漁獲高がありますが、大正15年には漁獲高はなく、昭和になっても復活していません。大正12年の漁獲高は66,400貫(249トン)、53,120円(当時の1円を5,000円として、現在の価値では2億6,560万円)でした。1kgあたり1,066円となる計算、かなり高額に取引されたようです。

*「明骨」とは、ふかひれとはことなり、サメ・エイやマンボウなどの軟骨を煮て 干した食品。どんなもので、どのように食べるのでしょうね~???


(中岡利泰)

えりも町の石碑・石仏01

2015年12月23日 11時36分27秒 | 日記
えりも町にある石碑・石仏を紹介していきます。

寒さが本格化する前、気になっていながらも、足を運ぶことを怠っていたのですが、今日、ようやく確認することができました。



えりも町本町にある「法光寺」(佐野俊也住職)http://www4.plala.or.jp/hokoji/index2.htm



その境内にある「不動明王」えりも町指定文化財です。
花崗岩ですが、かなり劣化しており、左手に「ひび」が入っているのが気になっていました。
岩石用接着剤をひびの中に入れ、「なんとか落ちないでおくれ~」とお祈りしておきました。

この「不動明王」、実は江戸時代の廻船商人「高田屋嘉兵衛」由来のもの。
嘉兵衛は、文化九年(1812)に国後島でロシアに捕らわれ、カムチャッカ・ペトロパブロフスクへと連れられた。

嘉兵衛が、蝦夷地(国後島)に戻ってきたのが文化十年五月である。
この不動明王の碑文には「文化十年癸酉三月 施主 高田屋」とある。

嘉兵衛がロシアにいた時期「文化九年八月十三日~文化十年五月」。その時期、嘉兵衛の故郷淡路島では、嘉兵衛や水主たちの無事帰国を祈願する奉納などが行われていた。この不動明王が作られたのは、嘉兵衛がロシアにいる時期と重なり、幌泉(現:えりも町本町)においても、なにがしかの法要がおこなわれていた可能性がある。

なお、この不動明王は、もともと「法光寺」にあったものではなく、いつの頃か、町内に散在するものが持ち込まれたものの一つだそうだ。

(中岡利泰)

陶芸作品~焼き上がり~~

2015年12月16日 15時26分50秒 | 体験陶芸教室
地域の家庭教育グループ「岬母会」の作品、本焼き仕上がりました。



使える作品、クリスマス・パーティに使うのかな?? ~ 子供たちの創造力もすごいです!




えりも町郷土資料館では2月~3月にかけて体験陶芸教室を開催します。
午前の部(9:30~12:00)夜の部(18:30~21:00)の2つの時間帯に設定。

日程については12月末に、みなさんにお知らせできると思います。

(中岡利泰)