別海町郷土資料館&根室振興局による「野付通行屋学習会」に参加してきました。
野付半島ネイチャーセンターから、特別車に乗り込み移動。長靴に履き替え「野付通行屋」を目指しました。
「通行屋」は「野付通行屋跡遺跡」として存在していますが、野付半島の地盤沈下により、一部が洗い流されています。
別海町教育委員会では、以前、発掘調査を実施しており、その資料は別海町郷土資料館やネイチャーセンターに展示されています。
江戸時代のお墓
誰が食べたのでしょうか?大きなホタテ貝も埋まっていました。
潮が引いたところを渡り、江戸時代にニシン番屋があったところにも・・・・
ネイチャーセンターからは、野付通行屋から目指した国後が遠くに見えていました。
伊能忠敬は1800年、後に第一次測量といわれる旅で、江戸から、野付半島の近く西別(今の本別海)まで測量しています。
えりも町の猿留山道、様似町の様似山道(両山道ともに国史跡)も通っています。
西別からも国後が見えます。
忠敬は国後を見て、何を想ったのでしょうか?
お世話になったみなさん、ありがとうございました。
(中岡利泰)