本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

アクメン !?

2012-01-10 22:18:32 | 住職の活動日記
 イケメン の男子もさることながら、

ちかごろ、 「 アクメン 」 という男子も人気のようです。

 少し強面のおしだし、

テレビでは 料理人の 「 アクメン 」 が登場、

女性客を 「 姫 」 と、呼ばれているようで、

そこがまた、人気の秘訣のようでもあります。


 子どものころ、時代劇で 「 悪代官 」 との会話で、

  
    「 おぬしも ワルよの~ 」

という、言葉が頭に残っています。


 「 悪 」 という言葉、

お経の中にもたくさん出てきますが、結構幅広い意味を持っています。

昔も、 「 悪源太 」 とか 「 悪七兵衛景清 」 というよな使われ方をしますが、

この場合は何も 「 わるい 」 というよな意味ではなくて、

『 強い 』 というような意味で使われます。


 また、お経では 

「 悪作 」 と書いて、

普通に ( あくさ )  と読む場合と  ( おさ ) と読むときがあります。

悪作 ( あくさ ) と読めば、悪いことをした、という悪い行いです。


  人間の行為を 「 善  悪  無記 」 というように三つに分けて捉えています。

  無記、というのは善にも悪にも属さない行為。


悪作 とかいて ( おさ ) と読む場合があります。

この場合は 「 憎む 」 という意味になります。

嫌悪というように、いやがる、憎むということです。

お経では、

 「 所作の業を悪んで、追悔 ( ついかい ) するを性と為し 」

と、定義されています。

 所作の業というのは、やってしまったこと、それを憎んで、後を追うように後悔する。

やらなければよかった。!  と、


        …


 とてもめんどうなようですが、

108煩悩というように、

人間の細かな心のひだを分析していくと、こういうことになるのですが、 … ?

先人たちは、自分の悩み苦しみを、

ただ、苦しい、というのではなく、

その苦しみをじっと見つめて分析していったのです。

 何気なく百八煩悩といっていますが、

108もの煩悩を発見したということは、

人類の歴史上の快挙といってもいいのではないでしょうか。

 普通に考えて思い浮かぶのは、せいぜい二つか三つです。


 「 悪 」  という字も、 強いといったり、 わるいといったり、

憎んで悔やむ、という幅広い意味を見出したのは、

それほど人間の心の中は複雑で微妙な構造をしているということです。

面倒くさく見えるようでも、

落ち着いて、お経も読んでいくと、

思い当たる節がたくさん出てくるのですよ !!!。



   
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車が出来て125年 !

2012-01-09 17:22:13 | 住職の活動日記
 便利に乗り回している車も、出来てから125年ほどしか経っていないようです。

その間の進歩といったら、隔世の感があります。



 最初は

    



三輪車で走る車だったのです。

それがだんだん進歩して、早く便利に快適に

そして今では 安全で エコ な車が主流になってきました。

 私のスマート君も信号待ち、とかではエンジンも止まってとてもエコな車です。



それが、最近ではレーダー付の車も登場しました。

     



真ん中の黒く光っているところがレーダーの部分です。

前に障害物とかがあると自動的に止まってくれるそうです。

そして、バンパーの両サイドにもレーダーがあり、車線の白い部分からはみ出すと

運転する人に教えてくれるということです。


先日テレビを見ていてふと思ったのですが、

どんな未開の地でも人間が生きている限り、 「 火 」 と 「 水 」 があります。

火と水が人間のいのちを支えてきました。

これを如何に使いこなすかが文明の発展に大きく貢献してきました。


 車のエンジンも ガソリンを爆発させそのエネルギーを動力に使いますが、

そのときに発生する熱をいかに制御するか、…      それが水です。

 今一番の問題である 『 原子力発電 』 もいかに冷やすかが重要課題です。

ウランから出てくる熱を大量の水で冷やすため、発電所は海岸に作られます。

ウランから出てくる熱の三分の一しか発電に利用できません。

あとの熱は海に捨てています。



 自動車という機械 !!

考えれば考えるほど、人間が作り出した、そして乗りこなしてきた、

技術的にも芸術的にも最高傑作のように思います。

あれだけ小さいエンジンルームの中で数千度に上る熱を冷やしながら、

エネルギーに変え、そして乗る人には快適な空間を提供している。


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今週の言葉 1月9日~1月15日 「 人生は短い 怠けてよい日は 」

2012-01-08 18:20:25 | 今週の言葉
     「 人生は短い

        怠けてよい日は

           一日もあたえられていない 」




 明日は成人式です。

それぞれの気持ちで成人式を迎えられることと思います。

これから責任を持って歩まれる皆さんに心からお祝い申し上げます。


    「 人間に生まれてよかった。
  
      私が私に生まれてよかったと、
 
      心の底から 叫ばれる時に

      初めて成人となる。」


という言葉もあります。

 本当に人生とは長いようで、過ぎてしまうとアッという間です。

今、振り返ってみるとがむしゃらにやっていた二十歳代が妙に懐かしいものです。

 そのうち、そのうちと、いっている間に

気がつけば、 定年を迎えるということにもなりかねません。


 お正月気分も、今年はカレンダーの関係もあり、休みも少なかったような気がします。

4日からは、どこの会社でも仕事始めがあったことでしょう。

暮れからお正月にかけてあわただしく過ぎ去っていったようです。


 仏道修行のなかにあります、 「 六波羅蜜 」 の第4番目

『 精進波羅蜜 』 の内容が、今週の言葉です。

「 精進 」 寝ても覚めても、ということです。

たまに思い立って、やってみたり、やめてみたりということではなく、

やり続けていくということです。

 どなたかが、

    「 成功する秘訣は ??? 」

    「 成功するまでやり続けることです。」

と、名言を吐いておられました。

 また、

    「 商売は牛のよだれ 」

ということも聞いたことがあります。

牛のよだれが、細く長く出続けるように、

修行も一気にではなく、少しずつでも、絶え間なく続けることが肝心です。

「 商い 」 ということも、修行ということと似たところがあります。

徹底的にソロバンをはじいていくか、

徹底的にソロバンをはずす世界に触れてみるか、

方向性は間逆のようですが、それぞれの道に通達すると

話し合える共通の広場はあるようです。



 「 人生にちょっと一服はいらない !

   一服するときは、死ぬとき。 」

とは、三浦先生の口癖でした。

 「 一服 」 という意識がいけないのでしょう。


 子どもを見てますと、遊ぶのも一生懸命なら、食べるのも一生懸命、

そして寝るのも一生懸命、

子どもには、遊ぶのも、食べるのも、寝るのも

すべてが 「 精進 」 の世界なのです。

 大人になって知恵がつくと、変なところが賢くなって、

力を抜いて怠けることだが上手になっていくようです。


        一にも努力

         二にも努力

         三にも努力


死ぬまで努力です。

 努力が楽しみになるまでしていくことが精進なのです。


 一歩一歩、たゆまず歩いていきましょう。





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お墓のまもり方の相談会

2012-01-07 15:43:51 | 住職の活動日記
 先日の 「 熊日すぱいす 」 に菩提樹苑が掲載されました。



 お墓のまもり方についての相談会 
  
     



 「 無縁墓地が増えていることをご存知ですか ? 」

という副題のもと、

 「 少子化・核家族化による承継者の問題、

   子どもの結婚・転勤など、

   さまざまな事情で弔う縁者がいない“無縁墓地”が

   増えていることをご存知ですか。

   お墓の承継についてお悩みの方は、

   菩提樹苑の相談会にご参加ください。」

という内容です。

 また、菩提樹苑では 「 全日本墓苑協会認定の墓地管理士 」 が

お一人お一人相談にのってくれるそうです。


 以前も 「 NHKのドキュメンタリー 」 で 

『 無縁社会 』 というものを取り上げていました。

生きている人間の世界も死後の仏さんの世界も無縁になっていくという

悲しい現実があるようです。

 ( 無縁社会、ということもNHKが作った造語なのですが )

「 無縁 」 という言葉には

なんとも寂しい響きが伝わってきます。

 このこともよくよく考えていかなければいけない問題です。



 しかし、よく考えてみると、

お寺  とは有縁世界だと思います。

 「 一切衆生 」 とか 「 南無三界万霊 」 というように

一切の生きとし生けるものはすべてが何かの縁でつながっているのです。

すべてのいのちを供養していくのは私たちの務めです。

だから、無縁ではないのです。

 
 新聞記事で、

  病気の母が一人娘に迷惑をかけたくない、

  自分が死んだ後は海に散骨してほしい。

  娘は母の言うとおり、三回忌が終わって海に散骨に行った。

  しかし、全部はまくことができず、半分はお寺に預けている。

ということを読みました。


 散骨  ということも、本人はいうけれども、

 供養ができるのなら、供養してほしいというのが

本音ではないかと思います。

 海が好きだったから、といって、まくほうの立場はしそれでいいかも知れませんが、

まかれた海で漁業に携わっているかたらすれば、

これまた、迷惑な話だと思います。


 私としては 「 無縁 」 ということはないのだ、

お寺としてはどこまでも供養していく、というのが立場です。

生きとし生けるいのちはどこかでつながっている。

それによって生かされている、私たちが供養していくのは

私たちの責務ではないかとも思います。


 そういうことも考えておかなければいけない問題ですね。

  時間が取れれば相談されるといい智慧をいただけると思います。







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「 微にいり、細に入り 」

2012-01-05 14:05:02 | 住職の活動日記
 仏の心は 「 微細 」 繊細で細やか、

人間の心は 「 麤 」 ( そ ) 「 あらい 」

というようにお経に書いてあります。

  という字も難しく、あまりみかけません。

「 鹿 」 という字を三つ重ねます。

 ( 確か、「 麤皮 あらがわ 」 という神戸牛のお店があったように思います。)

古くはお経に出てくる言葉でもあります。

粗野で荒々しく自分のことしか考えない、という意味でしょうか。



 三浦先生もよく口にしておられました、

  「 微に入り、細にいり 」

何をするにも、この心がないと満足したことはできない … 

 ( これは簡単そうでも、「 これ位で、ま~いいか! 」 と

   自分に妥協してしまいます。)



 2ヶ月ぶりの 済生会熊本病院

「 電子カルテ化 」 も、着実に進化し根付いてきているようです。


「 自動受付機 」
    


 自分のカードをこの機械に通すと、


「 患者案内票 」
    



 というものが出てきます。

この一枚の紙ですべてが進んでいきます。


「 フロントクラーク 」
    



 というブースが受付の前にあり、これから検査したり、わからないとき、

丁寧に誘導していただけるようになっています。 

 それに従って、検査やら採血などを済ませると、

主治医の待つ診察室の前で待つことになります。



「 診察番号案内 」
   


待合の前にはこの表示が出ています。自分の順番がわかる仕組みです。

待つこと30分、

 「 この先生は30分ほど遅れています。」

とのアナウンスが流れます。

 ( この一言が、待つ人にとっては苛立ちを解消してくれるものです。 )


 診察を受け、

  「 年末年始ということもありちょっと    でしたね、

    ご馳走もあって仕方ありませんね !!

    はかままったく問題ありませんよ。     」

先生のところで次回の予約をお願いすると、

その場で 「 予約票 」 が印字されます。


あとは、受付にこの 「 案内票 」 を出すと、

5分も経たずに、

  「 精算ができていますので、そちらへどうぞ 」



    


 始めてらしき人たちは、不思議そうに見つめておられます。

案内の方が、操作方法を説明されているようです。



「 自動支払機 」
    



 以前は、診察券のカードをこの機械に通していたのですが、

今は、もう少し進化して、


「 案内票バーコード 」
    



 を、この精算機にかざすと、金額が表示され、

後はカード決済で済ませる。

すると隣には医局があり、薬の受け取り番号が表示されています。

なんともストレスなく、受付・診察・支払い、とスムースな流れです。

 もう 「 おいしゃさま 」 という時代は終わったのでしょう。

患者さんを大切な顧客と考え、患者の目線に立った対応を考えておられるようです。


 相手の立場に立って物事を考えていく、

仏教的には 「 もらさで救う 」 という、ことがあります。

悩める方のその身になって、微に入り細に入り、考え抜く、

どのような人でも分け隔てなく、

これが一番重要なことだと思います。

ここ 「 済生会熊本病院 」 では

 「 微に入り 細に入り 」  ということを実践されている、

この姿勢に出会ったこともとても嬉しいものでした。




「 なでしこ 」

   



 『 済生会病院 』 のロゴマークも

「 なでしこジャパン 」 と同じ 『 なでしこ 』 の花です。

 ( 屋上にあります看板を望遠で撮りました。)






  
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Apple Store

2012-01-03 22:44:14 | 住職の活動日記
 ずっと気になっていたのです。

『 アップル 』 のコンピュータ  …  でも

デザイナーさんとかが使うもので、わしたちには関係ない  かな ??

と思っていましたが、

 スティーブ・ジョブズさんが、京都の 「 凌霄 」 さんへお見えになり、

その話をお聞きして、彼のお人柄をほんの少しだけ感じ取れたような、

そこで、自分なりに彼のことを調べてみると、

その考え方、生き方にとても興味深いものを感じました。

 とても、仏教に傾倒しておられたようで、

とことん無駄を省いていった 「 美しさ 」 そういうものが

随所にいきわたっているのです。

 大雑把な考え方ですが、西洋の文化は すべて 「 プラス 」 していくという

これでもか、といわんばかりに、

ヨーロッパの教会建築をみてもしつこいくらい装飾が施されています。

 東洋は仏教に見られるように、すべてを削ぎ取っていく、

とことん取り去った後に残る 「 美しさ 」 があるように思います。




    




 アップル・ストアもとてもシンプルで、しかもとても印象深いものがあります。

お客に接する仕方も 「 One to One 」 一人一人に

わかるまで時間を割いて説明しておられるようです。





     




 「 MacBook Air 」  と 「 iPad2 」 です。

このデザインがたまらなく好きで、質感とか触ってみました。


 そして、一番気になっていたのが、

ノートパソコンの交流電源の変換機です。

この科学が進んだ世の中で、なぜあんなばかでかいものを持ち運べばいけないのか ?

だれももっと小さくしようと考えないのだろう、と

不思議に思っていました。




    



 やはり、ジョブズさんここまでしっかり考え抜いておられます。

お話を聞くたびに、  「 なるほど !! 」  と

頷くことばかりです。


 微に入り細に入り徹底的に考え抜く

お経の最初の文句も、

 「 無上甚深微妙法 」 で始まります。

人間の心の微かなひだを徹底的に分析したのです。

それが、「 お経 」 というものになったのです。


 スティーブ・ジョブズさん考え抜いたことが一つの形 

「 製品 」 として、世の中に現れた、

無から有が出てきた。

こういう表現は何物にも代えがたい貴重なものを感じます。


 心が形になったようなものに触れて、

とてもうれしく、ものに対して感動を覚えました。








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『 肝胆相照らす 』 (かんたんあいてらす)

2012-01-02 00:50:31 | 住職の活動日記
 平安時代の末期から鎌倉時代にかけて、

「 文覚 」 ( もんがく ) 「 西行 」 ( さいぎょう ) という

二人の法師がおりました。

文覚上人は一世の荒法師として知られた人ですが、

俗名を遠藤盛遠といい北面の武士でした。

18歳のとき、渡辺佐衛門尉の妻袈裟御前に恋慕し、

夫の身代わりとなった彼女を誤って殺してしまいました。

そのことから発心出家して、熊野・高野山・羽黒と苦行を重ねたと伝えられています。

その後、東寺を始め高雄の神護寺などを再興された肩でもあります。

その反面、天性不敵の悪聖 ( あしひじり ) といわれるほど

性格の烈しい方だったともいわれています。

 一方、西行法師は遍歴の歌人として知られ、俗名を佐藤義清 ( さとうのりきよ )

といい、彼もまた北面の武士でした。

ところが法師23歳の時、親友藤原憲康の頓死に遭い、

これまた、人生の無常を感じて出家したと伝えられています。

この時、後鳥羽上皇から、思い直せとの言葉がありましたが、

 「 惜しむとて 惜しまれぬべき此世かわ 

        身を捨ててこそ 身をも助けめ 」

と詠み諸国行脚に旅立ったのです。

 ところが荒法師文覚にとっては、

  「 寂しさに宿をたちいでて眺むれば いずこもおなじ 秋の夕暮れ 」

などと、女々しいような歌を詠んでは流れ歩く、

まだ見ぬ西行を弱弱しい文学青年とでも思ったのでしょう。

古い書物には、

  「 にくき法師なり、いづくにても見あいたらば、かしら打ち割るべきよし

    つねのあらましにて有りけり 」

と、文覚の意中を語っております。


 そういう訳で文覚の弟子たちは、あの有名な歌人西行に、もしものことが

あっては困ったことになるとひどく心配しておりました。

 そのおりもおり、高雄の神護寺の住職である文覚のところへ、

西行が一夜の宿を乞うたのです。

 ところがどうしたことでしょう、

西行は厚いもてなしを受けた末、無事文覚のもとを去ったのです。

不審に思って弟子たちがそのわけを師匠に尋ねたところ、

  「 西行は文覚に打たれるような人物ではない。

    文覚を打ちのめす人物だ。」

と、語ったと伝えられています。


 恐らく、一夜の物語に、西行が仏道修行の上でも並々ならないことを

文覚が見て取ったのでしょう。

単なる、遊びとしてではなく、歌を通して人生に真向から対決していった、

西行の心に打たれたのであります。


 今週の言葉に 「 出逢い 」 という

相田みつをさんの詩を紹介しましたが、

この出逢いということも、それぞれが真剣に生きているところには

「 肝胆相照らす 」 という響きあう心があるはずです。


 弘法大師が中国に渡られたとき、

師匠の 「 恵果 」 ( けいか ) から、

 「 待つこと久し ! 」

 あなたが来ることを知っていた、なぜ早く来なかったのか 、

と、述べられて、すぐさま準備を整え

異国の僧である 「 空海 」 に密教のすべてを伝えられたのです。

並み居る弟子の中から、異国の僧である空海にその教えを伝授されたということは

そこには、響きあうという心があったからに他なりません。

 求めていた空海の心と、その素質を見抜いた 「 恵果和尚 」 との

肝胆相照らす心が一つになったのです。


 物事が起こるということは、こういうことが必ず働くものと思います。

「 出逢い 」 ということもただ偶然に起こるものではなく、

自分を深く求めていくというところに生まれるものだと思います。




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