本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

バケツ田んぼ収穫間近 !

2010-10-11 23:43:26 | 住職の活動日記
 先月、ご紹介させて頂きました、

『 バケツ田んぼ 』 の稲がもう刈り取り間近か、

頭を深く垂れておりました。

 お座敷からの写真です。





      




 お座敷から稲穂を拝めるのって、

妙に贅沢な気分になります。

 よく見ると、ピンク色のネットがかけられているのです。  

ここまで、手塩にかけて育てると、少しでも取られるのが

もったいないそうです。


 「 そうですよね ! 」

 「 たぶん1升もないかもしれません   」


 これから稲穂を刈り取り、陰干しして、

お茶碗で籾摺り ( もみすり ) をして、 

すり鉢に入れて、軟式の野球ボールで脱穀

そして、一升瓶に入れて棒で突いて、精米


 そこまでして頂く、ごはんはまた格別の味ではないでしょうか  


他人事ながら、こういう 「 豊年満作 」 というのでしょうか、

稲穂というのは、人に安らぎを与えるようです。

 「 食 」 ( しょく ) と 「 いのち 」 ということが

密接な関係があるからなのです。

 挨拶は 「 今日はお天気でいいですね 」

と、まず時候の言葉から入っていくのは

天候が食物の生育に大きく関係しているからです。

 ニュースでは、野菜が高騰しています。

やはり、今年の暑さが影響しているのです。  

 「 レタス 」 が大きくなれず出荷できないと

農家の方も悲しげでした。


 「 食事をいただく 」 ということは 「 いのちを頂くこと 」 です。

『 あなたのいのちを頂きます 』

貴重ないのちを頂戴するのだということを

稲穂を見ながら、その様子をお聞きするたび

あらためて考えさせられました。  


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しらぬい荘へ   YAHOO!

2010-10-10 18:34:13 | 住職の活動日記
 毎月のしらぬい荘のお参りです。

今日は日曜日ということもあって、車はみなお休みでした。




    



 先月になくなった方々の名前を過去帳に記していきます。

もう二冊目で、これは平成4年4月から書き始められました。

父のときに始まっています。

「 序 」 のところに 『 鬼籍 』 という文字が見えます、

今日はそのことから話を始めたのですが、

ご年配の方々とはいえ、侮れせん、こちらも真剣勝負で話します。

なんか、話が吸い込まれていくような気がしますと、

一応、納得です。


 帰りはよるところもあり、宇土から川尻の方へ回りました。

なにせ、 秋晴れ   です。

窓も全開、快適なドライブとなりました。



     



 花をバックに 『 しらぬい荘 』

そして、



     



稲穂をバックに  …



    



おまけに、スマート君もバックに記念写真です。


今が、実りの秋真っ最中です。




      



刈り取った田んぼもありました。


 『 秋の田の ~  刈り穂の 庵のとまをあらみ ~ 』

と、百人一首の天智天皇の歌が出てきそうな風景です。




     



 川尻に入ると、引きつけられるような景色に目が止まりました。

空き地を見つけて、車を止め、しばし眺めました。

正面に見えるのが、熊本市のシンボルの山 『 金峰山 』 ( きんぼうざん )

です。 666メーターあります。

この山の裾野に、わが 『 菩提樹苑 』 もあるのです。


 そのほとりに、 『 正中島弁財天 』 という祠があります。





      




中を覗くと、




     



やはり、川を守ってくれ、そして大漁を願って建てられたのでしょう。

右の文字が彫ってある石が 「 弁天様 」 だそうです。

その隣はお地蔵様のようです。





     



 そしてまた、ここからの遠くに見える 「 金峰山 」 も素晴らしい !!

川の石垣と川の流れ 、一抹の絵のような感じです。




    




 川尻から白藤というところへ来ると、

稲穂が揺れる中、これも 「 金峰山 」 がとても美しい姿です。


 とても    な日和でした。





      


 最後にお邪魔したお宅では名前はわかりませんが

とても香りのいい花が迎えてくれました。

 小さな可愛い花でした。








    

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今週の言葉 10/11~10/17 『 八方ふさがりのときが …

2010-10-10 08:45:24 | 今週の言葉
     『 八方ふさがりのときが 

            八方へ のびるときである 』



 「 お寺の最前線 」  とでもいえるのでしょうか ?

ホームページを見て、いろいろなご相談の方が、最近とみに増えてきました。

「 お寺 」 という 「 はたらき 」 としてみると

一番有り難い、ことなのです。

 誰にもいえない、相談できない、ということでお見えになったり、

メールが来たり、電話での相談があったり、と

自分では抱えきれないほどの問題を持ってお見えになるのです。

まさに 『 八方ふさがり 』 です。


 お話を聞きつつ、解決の糸口を探ります。

一時間二時間、お話を聞きます。どこかほぐれていく一点を探して  …


   人生は やり直すことはできないが 

                 見直すことができる



ということがあります。

 自分中心に考えていたことを相手の立場に立って考え直してみる、


辛い、嫌なことから逃げよう逃げようとしていた心を

踏みとどまって、

 「 よっし !! 背負っていこう 」

と腹をくくる、すると

今まで、自分を苦しめていた諸問題が

軽く背負えるようになる、ということがあります。


 私自身がそういえるのは、

まさに師である、三浦先生がその姿を見せてくれたのです。

たとえ一人になろうとも、やり抜いていこう、と腹をくくられた、

すると、すべてのもが動き出してくる。

そのことを実践してこられたのです。


 「 八方ふさがり 」 に見える

その事実を、立場を変えて見直してくる

すると、 「 ふさがって 」 いたのではなく、

そのこと自体がチャンスに見えてくることがあります。

 そこには 「 すべてのことを引き受けていこう 」 という

一つの覚悟のようなものが必要です。

 そう思った途端、180度人生が変わってくるということがあります。


ある方が、


 『 自分に今与えらえた境遇は自分が求めたことなのだ 』


と、実感を込めた言葉にヒントがあるように思います。

この言葉は理屈や理論でわかるものではなく、

実践経験として、やった方はストント腹に入る言葉ではないでしょうか 。





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『 ガラコ 』

2010-10-09 18:10:12 | 住職の活動日記
 これは車の窓とかに塗る 「 撥水材 」 の名前です。

「 ガラコ 」 名前は意味不明、

「 ガラコ 」 と撥水材のつながりがわかりません  が、

効果抜群です。

 今日は連休初日というのに朝から雨、

そういう予報もありましたので、早速、洗車そして

窓と ( スマート君は屋根もポリカーネットの半透明でできています )

屋根に 「 ガラコ 」 を塗りました。

 車が好きな人は、雨の前に洗車するのです  ???

   ( 私だけかも   )

汚れをはじいてくれるので、雨の予報が出ると、一応

ワックス洗車をしておきます。




    



 雨の日は屋根のシェードを開けて、雨が落ちてくる様子を楽しみながら走ります。

綺麗に水玉ができるでしょう。




    



 車走り出すと、この水玉がコロコロと飛んでいきます。

イヤー    このはじき具合は気持ちがいいですね  




    



 これが 「 ガラコ 」 という正体ですが、

このお陰で、雨の日も楽しく走れます。



 でも、今日は昼からは上がり、

夕方には    お天道さまも顔を覗かせてくれて、

お休みの方々には何よりでした。    



 数日前から、ブログの入力方法が新しいバージョンになりまして、

最初は戸惑いましたが、なれてくるととてもスムースで

文字も大きく、画像もアップしやすく、絵文字も選びやすくなりました。



 そんなこともあり、今日はたくさん    です。





     
  
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『 親分 』  完成形  ?

2010-10-09 14:19:21 | 住職の活動日記
 先日、『 十地経講義 』 のことを書いていたのですが、

この講義は昭和46年3月28日から始まったのです。

弘法大師の 『 十住心論 』 にちなんで、その元になったであろう

華厳経の中にある 「 十地経 」 を選ばれたのです。

 この講義は三浦先生を初め、洛南高校の先生方を中心に話されたので、

宗派を越えて、というより全宗教的立場から講義されました。

 この講義の具体的実践が、今の 『 洛南高校 』 を

作り上げていったと思います。


 その中で、先日 『 親分 』 ということを書いたのです。

読み進めるうち、言葉足らずの部分がありましたので … 

『 十地 』 というのは 「 十 」 という修行の段階です。

初歓喜地、第一番目の 「 喜び 」 というところから修行が始まるのです。

第一地から三地までは世間、を表し、

第四地から六地は出世間を表しているのです。

そこからが本当の修行に入っていきまして、八地からは出出世間で

修行するということも越えてしまうというのです。

 その修行の先にあるものが 『 マイスター 』 【 親分 】

ということだそうです。

 かえって世間をずうっと超えていったら最後は世間にもどってくる。

だから、修行というのも段階的に上っていくものではなく、

ある意味では一つの円環を描いているようなものです。

 修行の到達点は 「 悟りすます 」 のではなく、

そこらの普通のおっさんやおばさんと話ができるのが 『 マイスター 』

【 親分 】 ということです。

誰とでも話ができる、それが 【 親分 】 、そしてそれが

本来の人間のあり方なのでしょう。

 そういう人ほど 目だ立たなくなる

それが、本当の 『 マイスター 』 【 親分 】 ということです。


 錬磨 ということを書きましたが

磨いている間はまだ途中なんです。

なんか、自分を光らせようと思っとるんです。


『 本当に力のある人は自己主張をしない 』


という、本当の意味はそこらにあるのです  が  …  ?


だから、修行の先にある、ただの人、普通の人間になるということが

容易なことではないのです。


 しかし、修行もなしに、磨くことも知らず、

普通の人というのは、居直り強盗のようなものですけど、

そこには、 『 修行 』、ということが大事です。


 『 大沢親分 』 もカリスマ性を持ちつつ、誰とでも気さくに話せる

おっさんになられたのでしょう。

 そこにこそ、 『 大沢親分 』 の真骨頂があるのではないでしょうか。





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熊本はいい香りに包まれています。

2010-10-09 08:05:54 | 住職の活動日記
 どこでもそうなのでしょうけれど、

今、熊本はいたるところでいい香りが漂っています。





     




 そうです、『 金木犀 』 の季節です。

この金木犀は菩提樹苑で今満開に咲いています。

でも、不思議な花ですね。

この枝のところにくっつくように咲いています。




     



 この時期、まだ少しは暑いのです、が、

車の窓を全開にして、行く先々で漂ってくる香りを楽しみながら

走るのも、とても爽快です。




     




 こんな小さな花なのですが、香りの力は凄いものがあります。


『 仏さまは香りを持って、食とす 』


 という言葉があります。

いろいろなたくさんの仏さまも香りを楽しんでおられることでしょう。






    




 あいにくの連休、初日は     です。

門の外を傘を差した家族連れの方が通って行かれます。

 この彼岸花も珍しいでしょう。

黄色です。よく見ると花の形も少し違います。




     



 何とも不思議な形です。

自然が作り出したとはいえ、よく見ると驚くことばかりです。



 あいにくの雨ですが、それぞれに連休を有意義に過ごしてください。  

     
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『 大沢親分 』 ご逝去を悼みます !

2010-10-08 10:25:00 | 住職の活動日記
 毎週日曜日、

「 あっぱれ 」    「 渇 ! 」

の切り口を楽しみにしていました。

野球のわからない、私でも、なるほどそうなのかと、

野球・スポーツの見方がとても面白かったのです。


 奇しくも、

今、読んでいる 安田先生の 『 十地経講義 』 で、

「 親分 」 というところが出てきたのです。


 難しいかもしれませんが、少しご紹介します。

  「 ゲーテの 『 マイステル 』 という本があるのですが、

    マイステルというのは親分という意味です。
   
    学問の親分もあるけど、大工の親分でも何でもいい。

    一人前という意味ですね。

    マイスターは教育の目標だ。

    だからこういうものは知識を積んだってできるもんじゃない。
 
    積んだってできんのだけど、

    積まなきゃなおできん。

    そこに、各人各人の個性というか、

    自分の本来の面目というものを見いだしてこんならん。

    それは誰からも学べんものだ。

    独自のものだ。

    そういうものが見つからないとマイスターになれん。 」


簡単な文ですが、読み慣れないと、頭に入ってこないかもしれません。

『 マイスター 』 というのはドイツ語ですが、

イタリア語になると 『 マエストロ 』 になり、

英語になると 『 マスター 』 となって、

飲み屋のマスターという感じになってきますが ?

『 巨匠 』 とか 『 名人 』 という意味が一般的ですが、

その中に 『 親分 』 とか 『 師匠 』 という意味もあります。


 この先生は 『 仏さん 』 とかいうことを

仏教の言葉を使わずに、哲学できるような、

私たちの考える糸口を見つけてくれるような説明をされます。

 
 『 仏 ほとけ 』 といっても

具体的には 『 一人前の人 』 ということでしょう。

自分自身の本当の姿を見つけた、といってもいいと思います。


 『 親分 』 というと特別の人のように思いますが、

言葉の本来の意味からすると、

誰でもが 『 親分 』 というか 『 主人 』 に

ならなければいけないのです。


 東井義雄先生の詩に

   「 自分は自分の主人公

       世界でただひとりの

         自分を作っていく責任者 」



ということを思い出しました。


 『 大沢親分 』 

すべてを自分のこととして受け止めてこられた

生き様が素晴らしいと思います。

 それこそ  あっぱれ  です。

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   『 明日のパン ! 』

2010-10-07 21:43:14 | 住職の活動日記
 フジテレビの 『 ライオンのごきげんよう 』 ですか、

小堺一機さんが司会を務められています、番組で、

ゲストが漫才師の 『 中川家 』 のお二人でした。

その中で、買い物で、一番腹立つのが 

  『 あしたのパン ! 』

だそうです。

 ( いわれてみると、 なるほど 。  )

買い物がすんで、いざレジに向かうと、丁度いい具合にパン屋さんがあるのです。

すかさず、妻が叫ぶのが、

  『 そや、 あしたのパン !   』

中川家 : 「 明日の弁当どないするねん ? 」

妻   : 「 そりゃ、昨日の残りもの ! 」


 「 きょうは、ないんか ! 」  ( というツッコミ )


 奥さんの立場としたら、明日何があるかわからない !

念のために、パンでも買っておこう、ということのようです、が ??


 という話を思い出しつつ、

今日のお参りでも、同世代の方たちで、

 「 明日という日が無くなってきた 」   

ということで、盛り上がりました。

 若いうちは、 「 じゃ~また 次の機会にでも 」 と、

明日がある、明後日がある、と

未来に向かっての時間がたくさんあるのです。

 このごろ 「 明日という時間がない 」 ということを

少し肌身に感じるようになりました。  


 人間は不思議なもので、

まだ来ない未来に対して、希望を持ち嬉しくも、、また辛いことも、

考え、喜んだり悔やんだり、

過ぎ去った過去に対しては、思い出に対して腹を立てたり、


先日、ご相談の方ですが、

 お話を聞いていくと、なんと四十年も前にいじめられたり、

蔑まされたことに対して、悔しい思いを今現在も持ち続けておられました。


 人間、 腹を立てるというのは

( 事実は ) 過去の記憶に対して腹を立てているのです。  

「 憎いやつ 」 というのは、過去の出来事で

出来事はその時で終わるのですが、

『 くっそ ! 』 と思う記憶だけが残っているのです。


 人間は、現に今という事実には、なかなか遊べないものです。

未来に対して、喜びを持ち、また反対に不安になったり、悲観したり …

過去に対しても、喜びを持ち続けたり、

     ( 一番、やっかいなのが自慢話ですが  
        私も、その口かもしれません。     )

憎しみをいだき続けたりと、今ということを忘れてしまいます。


ほんとに 『 あしたのパン 』 です、

『 現に今 』 ということを見失って生きているのです。

           

 現に今、ということがわかると  …

   そこにこそ、  心からの感謝ということもあるように思います。
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 『 錬 』  れん

2010-10-06 21:44:15 | 住職の活動日記
 最近気になる字です。

「 鍛錬 」 とか 「 錬磨 」 というように使います。

仏具を磨いていると、この 「 錬磨 」 という言葉が浮かぶのです。


 今日、お参りしたお宅でも、

「 ころもどり武術 錬士四段 」 という額が目に入ります。

となりには、

「 正伝空手道 教士 八段 」 という額もかかっています。

確かに、立派な身体をされています。

胸板でも私の倍近くあるでしょうか ?

 その方でも、師範に当たられる方からは

『 まだ、心と体が、一つになってない ! 』

叱咤激励されるそうです。


 私のまわりの方々、よく鍛錬に励んでおられる方を

お見受けします。

 それも、どこどこ会社の社長様とかも、結構励んでおられるようです。

社長様というと 『 ゴルフ 』 というイメージですが、

異常なほどに自分の身体を鍛え上げておられます。

 毎月お参りに行く、社長様、自宅にサンドバッグをつり下げ

合間を見ては 「 蹴り 」 を入れられているようです。

 結構、女性の方でも日々鍛えておられる方もおられるようです。


   『 錬 』

 金偏というところが面白い !

 糸偏になると  『 練 』 

「 練習 」 というときには、糸偏  

 ( 軽いトレーニング かな? )

 『 錬 』  は、

「 ねりあげてきたえる 」 

「 物事が精熟する 」

というような意味があるようです。

糸偏の 「 練 」 でも、正確には同じような意味になるようですが、

やはり、金偏の 「 錬 」 のほうが気合いが入っているようです。


 私たちの 「 精進 」 というような意味にも合い通じるところがあるようです。

出来ないのですが、 「 日々精進 」 という言葉もあるように

毎日毎日寝ても覚めても、 「 精進の中に身がある 」 ということが、

『 錬士 』 といわれたり、 『 鍛錬 』 というような気がします。


 通じて、 『 磨く 』  という言葉も

関係してくるようです。

 「 ねる 」 そして 「 みがく 」


 古いようでも、いい言葉ですね。

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おやすみ な さ~い !

2010-10-05 21:51:58 | 住職の活動日記
 寝顔がおもしろく、というか、優しさいっぱいで、

見てるだけで、こちらの気持ちも優しくなるから不思議です。


 と思いつつ、いろいろ撮りだめしてきました。

彼らも敏感で、上手に近づかないと、カメラを意識して

目をさましてしまいます。



    



 ご飯も食べて、一応、家内の膝の上でも甘えて、

鼻くそを取ってもらい、    チョット大胆




    



 カメラを向けると、チョット意識してうす目を開けて   




      




  花子は基本、孤独が好きな仔です。

 ちょっと、いないな~  と思って探すと、

 きっちり、応接間のソファーで   

 これから、寒くなってくると、

 上手に布団に潜り込んできます。





      





 この仔はあまり登場しませんが、菩提樹苑の 『 ミーちゃん 』 です。

兄弟に、 『 ムーちゃん 』 ( ムートンのような毛並み )

黒猫の 『 くーちゃん 』 がいます。

三毛猫ですので 『 ミーちゃん 』 です。

三匹とも菩提樹苑で生まれました。

生まれたばかりの頃は懐きかけていたのですが、

母親が警戒して、人間は怖いものと教え込んだようです。

しかし、ご飯をくれる大切な人、とも教えたようで、

つかず離れず、微妙な距離を保ちつつ、

今では、事務所まで入ってくるのですが、

触らせようとはしません。

『 くーちゃん 』 だけが、懐いてくれて、すりすりしてきます。





     




 今一番人気、菩提樹苑の 『 看板猫 』 「 玉三郎 」 です。

この仔は得な性分で、抱っこが大好き、事務所の中を我が物顔で

かけずり回っています。

 『 サラの苑 』 では、サラちゃんの席をぶんどって、

堂々と寝ています。

 この 「 目 」 もう、いけません     まぶたがくっつきそう、




      




 うでの中で     なさ~い   です。


ふしぎですね !

 なんで可愛いのでしょう  


 三浦先生との珍問答、

  「 なんで猫というか知ってるか ? 」

      

  「 寝るから、猫 というのだ 」   

      

 三浦先生も猫好きで、多いときは20匹近く、一緒に生活してました。

どうも、先生は猫語がわかられるようで、

いじめたりすると、猫が訴えに行くのです。

 「 そうか! そうか!  いじめられたんか 」

というようなことで、

先生が帰ってこられると、どこからともなく、ネコたちが集まってくるのです。


 その頃の宝菩提院では、20匹近くのネコたちと、

15人の生徒や私たちが暮らしており、一日4升のお米をたいらげていました。


 面白いもので、難しい勉強会があっても、

その横でネコたちが寝そべっているという、何ともいい空間でした。


 今も、ネコたちに囲まれて、

   「 ある、という生き方 」 の ( あり方 ) をしみじみと感じます。

  
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