今日はこれを書きたかったのです。
( が、雑用雑事をやっているうちに、チョット安心が出まして
さらに、自分にも 「 奮起 」 を起こす意味で
書き始めました。)
『 奮起を促す ! 』
「 ハーバード大学 」 の学長先生の言葉です。
ネットの記事で知ったのですが、
( 書くためにもう一回読もうと思っていましたら、
すでに消えていました。)
学長先生は 『 ファウスト 』 という方で、初めての女性の学長先生です。
日本を訪れるときのコメントで、
『 ハーバードの力は優秀な学生同士が刺激し合うところにある。 』
と述べておられ、
これは、日本の学生諸氏の 『 ハーバード 』 へのエントリーが半分になったそうです。
これに対して、中国・韓国の学生は倍に伸びているということです。
そのことに危惧を抱き、このコメントを出されたのでしょう。
どうか、もっともっと日本の学生も 『 ハーバード 』 へチャレンジして欲しい
いつでも門戸を開いて待っていますという、ことでした。
最近の学生さんは 『 草食系男子 』 ( グラスイーティング )
が多く、外に出るより、内の中でゆっくり過ごす方がいい、
ということを好まれるということのようです。
ある中国の教育者の方とお話をしたとき、
「 100年先を見据えた教育を目指している 」
ということをお聞きしました。
やはり国を支えていくのは教育です。
1200年の昔、空海 「 弘法大師 」 は
『 物の興廃は必ず人に由る
人の昇沈は定めて道にあり 』
という理念のもと、日本最初の私立学校を建立されました。
また、比叡山を開かれた 最澄 『 伝教大師 』 は
『 国宝とは何物ぞ
宝とは道心なり
道心ある人を 名づけて 国宝となす
…
一隅を照らす
此れ則ち国宝なり 』
ということを宣言されています。
教育ということも 「 学力 」 ということもさることながら
その 「 どういう人間をつくるのか 」 という
「 人間像 」 を、今こそ、明らかにしなければいけないのではないかと思います。
今日のテレビでも 『 金プラ !! 』 という
「 さんま&所 世の中を動かしているのは誰だ会議 」 の番組でも
ヨーロッパの国々では教育のその根底に 『 哲学 』 という
ことが流れている、ということです。
学力の根底になる、『 哲学 』 フィロソフィー ということが
一番欠けているのかもしれません。
日本の先人たちもそのことで一番悩んでこられたことです。
今一度、先駆者の声に耳を傾けるときかもしれません。
『 教育 』 ということを考えながら、
何かわかりませんが、
今、大切なものが失われていくような気がしてならないのです。
( が、雑用雑事をやっているうちに、チョット安心が出まして
さらに、自分にも 「 奮起 」 を起こす意味で
書き始めました。)
『 奮起を促す ! 』
「 ハーバード大学 」 の学長先生の言葉です。
ネットの記事で知ったのですが、
( 書くためにもう一回読もうと思っていましたら、
すでに消えていました。)
学長先生は 『 ファウスト 』 という方で、初めての女性の学長先生です。
日本を訪れるときのコメントで、
『 ハーバードの力は優秀な学生同士が刺激し合うところにある。 』
と述べておられ、
これは、日本の学生諸氏の 『 ハーバード 』 へのエントリーが半分になったそうです。
これに対して、中国・韓国の学生は倍に伸びているということです。
そのことに危惧を抱き、このコメントを出されたのでしょう。
どうか、もっともっと日本の学生も 『 ハーバード 』 へチャレンジして欲しい
いつでも門戸を開いて待っていますという、ことでした。
最近の学生さんは 『 草食系男子 』 ( グラスイーティング )
が多く、外に出るより、内の中でゆっくり過ごす方がいい、
ということを好まれるということのようです。
ある中国の教育者の方とお話をしたとき、
「 100年先を見据えた教育を目指している 」
ということをお聞きしました。
やはり国を支えていくのは教育です。
1200年の昔、空海 「 弘法大師 」 は
『 物の興廃は必ず人に由る
人の昇沈は定めて道にあり 』
という理念のもと、日本最初の私立学校を建立されました。
また、比叡山を開かれた 最澄 『 伝教大師 』 は
『 国宝とは何物ぞ
宝とは道心なり
道心ある人を 名づけて 国宝となす
…
一隅を照らす
此れ則ち国宝なり 』
ということを宣言されています。
教育ということも 「 学力 」 ということもさることながら
その 「 どういう人間をつくるのか 」 という
「 人間像 」 を、今こそ、明らかにしなければいけないのではないかと思います。
今日のテレビでも 『 金プラ !! 』 という
「 さんま&所 世の中を動かしているのは誰だ会議 」 の番組でも
ヨーロッパの国々では教育のその根底に 『 哲学 』 という
ことが流れている、ということです。
学力の根底になる、『 哲学 』 フィロソフィー ということが
一番欠けているのかもしれません。
日本の先人たちもそのことで一番悩んでこられたことです。
今一度、先駆者の声に耳を傾けるときかもしれません。
『 教育 』 ということを考えながら、
何かわかりませんが、
今、大切なものが失われていくような気がしてならないのです。