悠々と 穢土に居れる
世界を 浄土 という
穢土 ( えど ) という言葉も 浄土 ( じょうど ) という言葉も
もはや死語になっている言葉でしょう。
穢土とは汚れたところ、飛躍かもしれませんが、自分中心の心ということです。
エゴの世界です。自己チュウ! になってくると自分の周りの人たちに、いやな
思いをさせてしまいます。
つまり、自分中心ということは、当たり前かもしれません、が、それだけではすま
なくなり、回りから敬遠されてしまいます。
ということは、知らず知らずのうちに、回りの人に迷惑をかけ、自分の回りを汚
していっているのです。
そういう意味を込めて 『 穢土 』 といったのでしょう。
今日もある人が飛び込んで来られました。
「 チョットいいですか! おれ今、不安で不安で仕方がない!
自殺したい気分 ! どうしたらいい ? 」
( ご近所に住む方で、今はフリター、28日にはお参りにこられます。
毎度のことながら、忙しい時期にかぎってやってこられます、
でも聞き捨てならない言葉 )
腰すえて聞くことに、 聞いていくうちに … 仏教的には
「 不安に感じることが正常で、不安に感じない方が危ない 」
という、 なんやかやで そういう結論になりました。 ?
当たり前のように生きているが、よくよく見ると、いつ何が起こってもおかしく
ない、いつ事故にあうかもしれない、また病気が見つかるかもしれない、
そういう不安定な日を過ごしているのです。
『 死を超えるとき、生活は成就する 』 という言葉もあります。
有限な身が無限と言う一瞬、死も我が物である、と言う感覚、
生まれてやがて死んでいくのではない、死という有限を知った命
そのときこそ、命は輝く ! ライフ が アライブ する。
そういうことをヒントに今週の言葉を見てみますと、
無限と言う一瞬に触れた命は、この不安一杯の苦しみの世界に、
あえて身をおけるのではないかと、現実を逃避するのでなく、
このどうにもならない現実こそが、命を輝かせる場所なのだと!
ま~、今日も突然の来訪の方とそんな話で、
『 今日のところはこれで帰る、また来るね 』
と去って行かれました。
世界を 浄土 という
穢土 ( えど ) という言葉も 浄土 ( じょうど ) という言葉も
もはや死語になっている言葉でしょう。
穢土とは汚れたところ、飛躍かもしれませんが、自分中心の心ということです。
エゴの世界です。自己チュウ! になってくると自分の周りの人たちに、いやな
思いをさせてしまいます。
つまり、自分中心ということは、当たり前かもしれません、が、それだけではすま
なくなり、回りから敬遠されてしまいます。
ということは、知らず知らずのうちに、回りの人に迷惑をかけ、自分の回りを汚
していっているのです。
そういう意味を込めて 『 穢土 』 といったのでしょう。
今日もある人が飛び込んで来られました。
「 チョットいいですか! おれ今、不安で不安で仕方がない!
自殺したい気分 ! どうしたらいい ? 」
( ご近所に住む方で、今はフリター、28日にはお参りにこられます。
毎度のことながら、忙しい時期にかぎってやってこられます、
でも聞き捨てならない言葉 )
腰すえて聞くことに、 聞いていくうちに … 仏教的には
「 不安に感じることが正常で、不安に感じない方が危ない 」
という、 なんやかやで そういう結論になりました。 ?
当たり前のように生きているが、よくよく見ると、いつ何が起こってもおかしく
ない、いつ事故にあうかもしれない、また病気が見つかるかもしれない、
そういう不安定な日を過ごしているのです。
『 死を超えるとき、生活は成就する 』 という言葉もあります。
有限な身が無限と言う一瞬、死も我が物である、と言う感覚、
生まれてやがて死んでいくのではない、死という有限を知った命
そのときこそ、命は輝く ! ライフ が アライブ する。
そういうことをヒントに今週の言葉を見てみますと、
無限と言う一瞬に触れた命は、この不安一杯の苦しみの世界に、
あえて身をおけるのではないかと、現実を逃避するのでなく、
このどうにもならない現実こそが、命を輝かせる場所なのだと!
ま~、今日も突然の来訪の方とそんな話で、
『 今日のところはこれで帰る、また来るね 』
と去って行かれました。