『 彼岸への憧憬 』 お彼岸を心に思い浮かべて憧れを持つ、
今はお彼岸がきてもあまり涼しくありませんが、クーラーのなかった時代、
暑い暑い夏が終わり、やっと涼しくなって、ほっと一息、お浄土とはこんな世界な
のかな~ と、心に思い浮かべられたのでしょう。
今日も般若心経を読みながら気づいたのです。初心にかえって暗記しているお経
ですが、昔から 「 経を読む時は持って読め 」 といわれていることを思い出
し、字を読みながら読んでいくと、面白いことに気づきました。
最近、 『 3 』 という数字が、 「 世界のなべあつ 」 という方のお
かげで、話題になっていますが、般若心経の中でも 『 三 』 という文字は、
とても大事というか、同じ 「 三 」 という字を使うのに、まったく意味が違
うのです。
『 究竟涅槃三世諸仏 』 ( くぎょうねはんさんぜ )
ここの場合の 『 三 』 は 「 過去・現在・未来 」 を意味していま
し、数字の三という意味です。
次の行に出てくる
『 阿耨多羅三藐三菩提 』 ( あのくたらさんみゃくさんぼだい )
は、インドのサンスクリットでいう言葉、
( アヌッタラ・サムヤク・サンボーディ ) を、訳さずにそのまま、難し
い漢字に当て字をしたのです。
『 この上なく優れた平等円満の智慧の悟り 』 のような意味になります。
玄奘三蔵 ( 三蔵法師 ) はあえて訳さなかったのです。
『 般若 』 もそうですし 『 波羅蜜多 』 も
訳してしまえば意味が薄くなる、というようなこともあるのでしょうか?
ほかにも、訳さなくてインドの言葉をそのまま使った言葉が、般若心経
の中にはたくさん出てきます。
上の写真のような、初めての方なんだろうと思われるかもしれませんが、
文字の読めなかった時代、般若心経を絵文字を使って表したものです。
「 お釜 」 をひっくり返して 「 マカ 」 と読ませたり、
「 波羅蜜多 」 を 「 腹・蓑・田 」 という絵を書いて教えています。
やはり、お経はどんなに暗記しても、手に持って読まなければいけません。
と、自分に言い聞かせた次第です。
今はお彼岸がきてもあまり涼しくありませんが、クーラーのなかった時代、
暑い暑い夏が終わり、やっと涼しくなって、ほっと一息、お浄土とはこんな世界な
のかな~ と、心に思い浮かべられたのでしょう。
今日も般若心経を読みながら気づいたのです。初心にかえって暗記しているお経
ですが、昔から 「 経を読む時は持って読め 」 といわれていることを思い出
し、字を読みながら読んでいくと、面白いことに気づきました。
最近、 『 3 』 という数字が、 「 世界のなべあつ 」 という方のお
かげで、話題になっていますが、般若心経の中でも 『 三 』 という文字は、
とても大事というか、同じ 「 三 」 という字を使うのに、まったく意味が違
うのです。
『 究竟涅槃三世諸仏 』 ( くぎょうねはんさんぜ )
ここの場合の 『 三 』 は 「 過去・現在・未来 」 を意味していま
し、数字の三という意味です。
次の行に出てくる
『 阿耨多羅三藐三菩提 』 ( あのくたらさんみゃくさんぼだい )
は、インドのサンスクリットでいう言葉、
( アヌッタラ・サムヤク・サンボーディ ) を、訳さずにそのまま、難し
い漢字に当て字をしたのです。
『 この上なく優れた平等円満の智慧の悟り 』 のような意味になります。
玄奘三蔵 ( 三蔵法師 ) はあえて訳さなかったのです。
『 般若 』 もそうですし 『 波羅蜜多 』 も
訳してしまえば意味が薄くなる、というようなこともあるのでしょうか?
ほかにも、訳さなくてインドの言葉をそのまま使った言葉が、般若心経
の中にはたくさん出てきます。
上の写真のような、初めての方なんだろうと思われるかもしれませんが、
文字の読めなかった時代、般若心経を絵文字を使って表したものです。
「 お釜 」 をひっくり返して 「 マカ 」 と読ませたり、
「 波羅蜜多 」 を 「 腹・蓑・田 」 という絵を書いて教えています。
やはり、お経はどんなに暗記しても、手に持って読まなければいけません。
と、自分に言い聞かせた次第です。