冬の風物詩
八幡の「円徳寺」では銀杏の木に
大根が干されています
境内の周りは美しい竹垣で
囲ってあります
門の入り口には
達磨堂円福寺の石碑が立っています
山の間を切り開いたような
切通しを
抜けると
道は下り坂になり
境内が見えてきます
美しく掃き清められたお寺です
石碑には
「創開施雄峰圓福江湖道場」
と書いてあります
このお寺を開創された
斯経慧梁(しきょうえりょう)禅師
の願いが込められたものです
立派な門があります
しかし、拝観お断りの表示
山門にも「江湖道場」の
額が掲げられています
境内に大きな一本のイチョウの木
が目に飛び込んできます
修行僧の方が行脚して集められた
1500本ほどの大根が
吊り下げられています
まあ見事です
今日はいい天気
明日は雨の予報
こうやって日に照らされ
寒風にさらされて
後は糠につけられ美味しい
たくわんになるのでしょう
先日、修行僧の方々によって
干されたようです
こうやって間近に見る大根さん
よく見ると丁寧に結ばれています
ここのお寺今でも
厳しい修行道場で拝観謝絶
ひたすら禅に励まれています
天明2年(1782)といいますと
天明の飢饉があった年
斯経禅師が60歳の時に
悲願であった「江湖道場」の
建立が機が熟し、
天明4年には達磨堂が完成
しかし、天明6年には
66歳で遷化されます。
京都にあった僧堂を京叢林、
地方の専門道場を江湖(こうご)
叢林と呼んでいました
この呼び方は唐代にまで遡り
江は揚子江、江西省
湖は洞庭湖、湖南省
からのようで禅が盛んであった
地域ということです
そこから集まって修行する場を
「江湖道場」といったようです
叢林ということは
林の中に木々が幹が曲がったり
不必要な枝が伸びないように
密生して、
ただ天に向かって伸びていく
そこから切磋琢磨して修行する
そういう場を叢林といいます
斯経禅師は
仏法久住のためには
宗派や法脈にかかわらない道場
が必要ということを
常々考えておられたという事です
その考えに賛同され
南山焼の祖といわれる
浅井周斎が三万坪の土地を寄進
されています
この地は大阪と京都の県境
洞ヶ峠(ほらがとうげ)
明智光秀の謀反のあと
この地も戦場になったところ
でも、普段は
世間の喧騒から隔離された場所
修行道場にはもってこいの所
ではないでしょうか。
余談ですが
浅井周斎という方
大阪で鉄を扱う商人として
財を成されましたが
晩年は家業を捨て
日々法華経を唱え修行し
その他茶の湯、詩吟にも通じ
特に没頭したのが作陶活動で
その器の底に「無」の字を刻し
これが南山焼といわれた
ということです
その財は貧しい人の救済に当てら
この圓福寺の建立に使われ
亡くなられた時の所持金は
800文にも満たなかった
というとこです。
この事に感動されたのでしょう
現在の本堂と庫裏は
京セラの稲森さんの寄進によって
完成したということです。
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