4日、NHK大河ドラマ『花燃ゆ』が
始まりました。
ー志士を支えた女の戦いー
と、副題に
吉田松陰の妹・文が主役です。
吉田松陰の松下村塾では
「君は何を志すか」
という問いが口角泡を飛ばして
語り合われたようです。
志 シ ・ こころざし
字の成り立ちは心と之から成り、
心があらゆることにむきあつまる。
志学 「吾十有五而志干学」 は
よく暗記しました。
また、こういう熟語もあります。
「有志者事竟成」
(ココロザシアルモノハコトツイニナル)
人は志さえあれば何事も
ついには成し遂げることが出来る。
という意味です。
十地経の中では、
「金剛志」という言葉で出てきます。
菩提心のことなんですが、
叩いても焼いても壊れない
という菩提心を象徴的に
表したのでしょう。
「各発無上心」
各発カクホツ、それぞれ・各々が
無上の心(菩提心)を起せ、と
でないと、この世を厭うことは出来ない
そのように叱咤激励しているのですが、
「各発」という自分で起こした心では
限界がある。
都合のいい時はいいけど、
都合が悪くなると途端に
挫けてしまう。
だからこそ、
「共発金剛志」と
個人ではなく共にということが、
それが、その心は壊れない
ということで、金剛のこころざし
と書いたのでしょう。
各、個人として起したけど
倒れてしまった。
その倒れてしまった大地を
地として、
媒介としてさらに深めて、
根元なる菩提心に目覚めよと、
講義の中では、
「我々が起こすんじゃない。
我々が、我々から起したんじゃない。
我々をその中に呼びかけている
菩提心、
我々の根底に流れている菩提心
そこに帰れ」
という表現になっています。
難しい言葉ですが、
身をもって実践した人ならば
ピンとくると思います。
松下村塾で戦わされた
「志」ということの論議、
それぞれが起こす「志」
それが敗れ倒され、
さらなる「志」を喚起して、
まさに、金剛の志に変わっていく
そういう精神の高まりを
見ていくのもこの大河ドラマの
見どころではないかと、
密かに楽しみにしています。
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