本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

態度価値

2014-08-29 21:57:13 | 住職の活動日記

気になっていることがあって、

読んだり話したりする中で、

先日、お伝えしようと思って、

見つからずにいた文が出てきましたので

ご紹介します。

 

最近は、幸せを求めることに夢中ですが、

自分の幸せはどうしたらやって来るかとか、

幸せさがし、とか、

神社やお寺にはご利益を求め、

自分が自分が …

ということが盛んなようです。

 

幸せは求めても絶対に

やってこない、と

フランクルという方はおっしゃっています。

その方のお話で、

 

「新しい生活を創り出すということは

病気のためにもう手足が動かなくなって、

ベッドに寝ていることしかできない、

そういう人にもあるということです。

それは『態度価値』ということです。

 

病気になれば労働によって生産する、

労働する人間としての価値

というものは奪われてしまいます。

 

けれども、ラジオを聞いたりテレビを見たり

そういう文化的価値は楽しむことができる。

もっと病気が重くなると、

もうテレビを見ることも疲れるという

状態になります。

それでもまだ、新しい生活創り出す

ことが人間にはできる。

それを「態度価値」といいます。

 

たとえば病院のベッドで寝ている、

看護婦さんが注射を一本してくれる。

そのときに、『ありがとう』といって

にっこり笑うか、

『痛い、嫌だ!』といってわめくか、

これだけの違いです。

「ありがとう」といってにっこり笑ったら

その微笑みが看護婦さんの心を和らげ、

看護婦さんに働く喜びを与えていきます。

そのときに、

『痛い、嫌だ、早く死んでしまいたい』

といったら、看護婦さんの心を暗くする。

 

つまり、一刻一刻

自分がその瞬間にどういう態度を

とるかということです。

人間は関係存在の中で生きています。

自分が今日の一日をどう生きるか

ということが、最も身近な人間を通して

世界中に広がっているのです。」

 

と、そういうことを話されています。

幸せといっても、

遠くにあるものではなく、

今ここの、自分のあり方ひとつで

言葉の選び方ひとつで

周りの人を明るくも暗くもすることができるのです。

 

そこに「態度価値」という、

ことがあるのではないでしょうか。

今、自分に与えられた環境の中で、

態度ひとつによって、

新たな価値を創り出していくこともできるし、

せっかくの縁も無価値どころか

悪い心をまき散らすことにも

なりかねません。

 

「態度価値」

耳慣れない言葉ですが、

毎日の自分に起こる

すべてのことに

自分で価値を創り出していく

これほど素晴らしい

幸せなことはないと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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