盗人にとりのこされし 窓の月
良寛
来年の年賀状には 「 月のウサギ 」 という仏教説話を書こうと思っています。
聖徳太子も深く感動された 『 ジャータカ 』 という、
( お釈迦さまが生まれる前の物語 ) 仏教説話がたくさん残っています。
そのすべてが、身を犠牲にして他のために捧げるという、
「 無償の愛 」 の物語です。
今日、お参りしたお宅で 「 年賀状 」 の話をしていましたら、
ヘルパーさんをされているのか、
「 他のために自分の身を投げ出す 」
ということに深く感動され、
『 そうですね、人間の意識では他のために尽くすという心は出てこないです。
自分の深い心に触れるというか、自分の中にある仏心にふれるのでしょう。
母親は自分の子どもを育てるということで、
本能的に無償の愛ということが出てきます。』
などなど、話しているうちに、思い出した一句が
この良寛さんの言葉です。
何もない良寛さんの家に盗人が入った。
取るものがないので、仕方なしに着ている布団でも取っていくか、
ということで、布団を取ろうとすると、
良寛さんは寝返りを打つ風を見せて、そっと盗人に気づかれないように、
盗人に布団をあげたという話です。
良寛さんは、何もない自分の家に来たのだから、
盗人もよっぽど困っていたに違いない、
と、思われたそうです。
布団を取られ、寒空に月を眺めながら詠まれた一句が
『 盗人にとりのこされし 窓の月 』
です。
この時期でしたら、良寛さんの辞世の句
『 うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ 』
かなと思っていましたが、
この歌も意味が深く、 ( 単純には今の季節を詠んだのかな ? )
ところが、
良寛さん70歳の時に 「 貞心尼 」 という尼さんと出会うのです。
最初は歌詠みの尼さんと思って気にも留めていなかったのですが、
その歌のすばらしさに心惹かれ、恋に落ちてしまうのです。
貞心尼が30歳の時です。
良寛さんが亡くなる75歳まで4年間ほどのつきあいで、
最後、貞心尼に看取られて亡くなるときの辞世の句が、
この句なのです。
「 あなたには私のうらも表もすべて見せました。
すべてをお任せします。」
となると、来年の年賀状の 「 無償の愛 」 ということがテーマであれば
「 盗人にとりのこされし 窓の月 」
が、適切ではないかということで、選びました。
今では、「 無償の愛 」 とか 「 自己犠牲 」 というような言葉は
使われなくなってしまいました。
本当の深い心では
「 他のために尽くして、喜びたい 」 という
本心が、みなそれぞれに、何時! 出そうかと待ち構えているのですが
チャンスを見つけることが出来ないのです。
心がけましょう !
良寛
来年の年賀状には 「 月のウサギ 」 という仏教説話を書こうと思っています。
聖徳太子も深く感動された 『 ジャータカ 』 という、
( お釈迦さまが生まれる前の物語 ) 仏教説話がたくさん残っています。
そのすべてが、身を犠牲にして他のために捧げるという、
「 無償の愛 」 の物語です。
今日、お参りしたお宅で 「 年賀状 」 の話をしていましたら、
ヘルパーさんをされているのか、
「 他のために自分の身を投げ出す 」
ということに深く感動され、
『 そうですね、人間の意識では他のために尽くすという心は出てこないです。
自分の深い心に触れるというか、自分の中にある仏心にふれるのでしょう。
母親は自分の子どもを育てるということで、
本能的に無償の愛ということが出てきます。』
などなど、話しているうちに、思い出した一句が
この良寛さんの言葉です。
何もない良寛さんの家に盗人が入った。
取るものがないので、仕方なしに着ている布団でも取っていくか、
ということで、布団を取ろうとすると、
良寛さんは寝返りを打つ風を見せて、そっと盗人に気づかれないように、
盗人に布団をあげたという話です。
良寛さんは、何もない自分の家に来たのだから、
盗人もよっぽど困っていたに違いない、
と、思われたそうです。
布団を取られ、寒空に月を眺めながら詠まれた一句が
『 盗人にとりのこされし 窓の月 』
です。
この時期でしたら、良寛さんの辞世の句
『 うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ 』
かなと思っていましたが、
この歌も意味が深く、 ( 単純には今の季節を詠んだのかな ? )
ところが、
良寛さん70歳の時に 「 貞心尼 」 という尼さんと出会うのです。
最初は歌詠みの尼さんと思って気にも留めていなかったのですが、
その歌のすばらしさに心惹かれ、恋に落ちてしまうのです。
貞心尼が30歳の時です。
良寛さんが亡くなる75歳まで4年間ほどのつきあいで、
最後、貞心尼に看取られて亡くなるときの辞世の句が、
この句なのです。
「 あなたには私のうらも表もすべて見せました。
すべてをお任せします。」
となると、来年の年賀状の 「 無償の愛 」 ということがテーマであれば
「 盗人にとりのこされし 窓の月 」
が、適切ではないかということで、選びました。
今では、「 無償の愛 」 とか 「 自己犠牲 」 というような言葉は
使われなくなってしまいました。
本当の深い心では
「 他のために尽くして、喜びたい 」 という
本心が、みなそれぞれに、何時! 出そうかと待ち構えているのですが
チャンスを見つけることが出来ないのです。
心がけましょう !
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