本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

今週の言葉 8/6~8/12 「 あたかも粗く葺いた家には雨が … 」

2012-08-02 21:56:57 | 今週の言葉

     あたかも粗く葺いた家には

 

     雨が漏るように

 

     修養のない心には

 

     貪欲が侵入する

 

               ( 法句経 )

 

 

 所用があり、今週の言葉も早めのアップです。

 

 

お釈迦さまは非常に上手な喩えで、いつもお説教されていたようです。

「 雨が漏る 」  ということも、巧みな表現です。

『 煩悩 』  のことを  「 漏れる 」  とかいて  『 漏 』 ( ろ ) といいます。

 

 有名な 「 一休さん 」 の名前の由来は、

師匠から公案を出されて、答えたのが次の一句です。

 

   『 有漏路より 無漏路へ帰る一休   ( うろじよりむろじかえるひとやすみ )

       雨ふらば降れ   風ふけば吹け 』 

 

人生とは生きている間は有漏に悩まされ、

死んだときに初めて煩悩がなくなって、無漏の静かな世界に帰っていく、

ほんの一休み、なんだ、というところから

『 一休 』  という名前を頂いたようです。

 その一休さんも辞世の句は、弟子たちが耳をそばだてて聞いてみると

「 死にとうない 」  

ということだったようです。

 

 その煩悩が出てくるのは、激しくはないのですね。

自分ではわからないほど静かに滲み出てくるのです。

雨漏りが、ぽたりぽたりと落ちていくしずくが、

気が付けば家の中一面水浸しということになってしまいます。

 

 今では、修養ということも言わなくなりました。

しかし、気をつけなければいけないのは、

人間は未完成のままで生まれてくるということです。

だから、是は是・非は非と教え込んでいかないと、

自分自身が煩悩のとりこになってしまいます。

 それと最近感じるのですが、

今は 「 我慢する 」 ということが希薄になった時代のようです。

いろいろの人間関係でも、自分が一歩引くということは、

なくなってきているようです。

お互い言い分があり、それを譲ろうとしません。

 

 「 修養 」  ということがあると、

まず人さまを立てて、自分は後にということになるのですが、

自分が先に出て、どうしても譲ることができないのです。

そこにいろいろの問題も出てきているように思います。

 

 「 火 」 にたとえられる、怒りという煩悩もありますが、

「 水 」 に象徴される煩悩は自分では気が付かないうちに

心の隙間にじわ~っと侵入してくるのです。

 

 だから、自分は出来てない、ということの自覚が大切です。

 

 

 

 

 

   

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