「だるまさんがころんだ」とか、
「だるまさん、だるまさん、
にらっめこしましょ、
笑ったら負けよ!
あっぷっぷ!」
というように、だるまさんは
身近にあったようです。
また、七転び八起きのお人形として
そして、願いが叶ったら
目玉を入れるダルマ人形として
親しまれています。
しかし、仏教では「ダルマ」という言葉は
一番の根幹の言葉です。
「ダルマ」とはインドの言葉で
Dharumaと書かれ、それを
達磨と音写しました。
意味は「法」というふうに訳されたのです。
そして、
この言葉を名前にした方もいらっしゃて
その方が禅宗の開祖といわれる
「達磨大師」です。
悟りを開くまでは座を立たないと、
壁に向かって9年間も坐り、
ついに悟りを開いたときには
足が腐ってしまったという
逸話まで残っているほどです。
その姿から、あのだるまさんの
形ができて、目をギョロッとむいた顔立ちから
にらめっこの歌ができたのではないでしょうか。
それから、
「だるま」という言葉が独り歩きして
「だるま落とし」とか、
「だるま返し」はたまた、
その形から「だるまストーブ」
なるものまで、いろいろなことに
名前が用いられたようです。
本来は、仏教がインドから中国へ
伝わったとき、
「ダルマ」を「法」と訳したのですが、
なかなか訳しきれてない一面も
あったようです。
「法」というと、法律というような意味合いが
頭に浮かびますが、
ダルマには仏道修行を歩む、
というような「道」という意味もあったようです。
厳密には、辞書によると、
任持自性(にんじじしょう)と
軌生物解(きしょうもつげ)という
二つの意味があると、
なかなか難しいことが書いてある。
任持自性というのはそれぞれのものは
個性をもって存在している。
私も彼も、そしてあらゆるものも
それぞれの固有性をもってある
ということでしょうか、
軌生物解とはそれぞれ固有性を
持っているから理解させることができる。
ということから、認識の規範、とか
道理というようなことを表すのでしょう。
ダルマとはこういう幅広い意味を
もっているのですから、
単純に法律でいうような「法」
ということは、少し幅が狭いようにも
だから、ダルマを「法」というのは
訳した方の苦肉の策では??
だから、ダルマ・法ということには
一言では言えない
大きな意味をもっているようです。
仏教では「三宝」といって
仏・法・僧、ということが
仏教の内容を表しているのです。
まあ、でも、
深い意味は分からなくても、
「だるまさん」として親しみを
持てるのは、
「ダルマ・Dharuma」ということが
普通に浸透しているのは
ある面、それでいいのかもしれません。
その言葉を知っているだけで
なにかの疑問が起こったとき
問題を解く糸口になるのでは
ないでしょうか。
「だるまさん」ということから
また再び勉強できました。
いっぺんに理解はできませんが
折にふれて、
繰り返し思い出し、
調べ直し、考えていくことも
面白いことのように思います。
今では薪を焚いて暖を取るとは
最高の贅沢ではないでしょうか。
火というのは妙に人間落ち着くのではないでしょうか?
毎月お不動さまに護摩を焚きますが、
何かわかりませんが、炎というのは
見てると魅力あるものですよ!!
その人の多さにとても疲れます。
一人でいると寂しいし、大勢といると自分を忘れるものです。
しかし、ロウソクを灯し香をたく、なんともいい習慣をおもちですね。