久しぶりにお見えになりました。
普段はご無沙汰のことが多いのですが、
切羽詰って、どうにもならなくなると、
ひょこっり顔を出されます。
… … …
黙ってお経を聞いておられました。
「 久しぶりのお経でした。
ついつい、習ったこともないのに
お経が口から出てきました。 」
お母様がお元気な頃、お参りに寄せていただくと
いつも横に座っておられました。
若いし、恥ずかしさもあったのでしょう。
知らん振りして、お経なんか全く興味ない
という風でした。
しかし、ちゃんと耳から沁みこんでいたのですね。
子どもころに習ったお経は
心の奥におさまっていて、忘れないものです。
経本を持って習ったお経は
ややもすると忘れてしまいがちです。
「 お経は耳で読め 」
これは、人の声をよく聞きながら
その声に合わせて読みなさい、
ということです。
自分だけ飛びぬけてお経を読んではいけません。
何人で読んでも声がひとつになるように読みなさい。
と、師匠からよく指導されました。
『 耳の力 』 というのでしょうか、
耳から入ってくるということは
本当は目で読むより確かなものがあります。
お経も本来は口伝えに伝わってきたものです。
中国に渡り漢訳されて、今のような経本になったのです。
インドでは暗誦のほうを大切にする、
中国では書いたものに重点を置く、
ということを聞いたことがあります。
でも、お経を見てみると
特に今は 『 唯識三十頌 』 ですが、
単なる漢訳だけではなくそのリズムというか
意味も考えつつ無駄を省きリズムを整える、
玄奘三蔵が心血を注がれたことを
未熟ながら、少しだけ感じ取ることができます。
試験問題がなかなか覚えられない !!
そこで、河内音頭を歌う方が、
そのリズム合わせて覚えたそうです。
すっかり覚えたのはいいけれど、
肝心な問題のところを思い出すのに、
最初から歌わないと思い出せなくて、
時間が足りなかったという、
面白い話しを聞いたことがあります。
声を出して読み、その音が耳から入ってくる
耳から入ってくる響きは心の中に深く入り
忘れないものでしょう。
耳の力を信じて
耳を傾けるということは
本当に大切なことだとあらためて思い知らされました。
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