お経の最初の文句は
「如是我聞」で始まります。
普通は「にょぜがもん」と読み
お経によっては「じょうしがぶん」
とも読みます。
普通には私はこのように聞きました
という意味ですが、
「如是我聞」の「我」とは
誰のことだろうと、
お釈迦さまからお説教を
聞いていた人たちと、
複数と思っていたのですが、
この「我」とは阿難尊者アーナンダ
のことを指しているようです。
お釈迦さまが涅槃に入られ
荼毘に附され、
このままではお釈迦さまの教えが
途絶えてしまう、
ということで、
「結集」(けつじゅう)といって
みなで集まり
お釈迦さまの教えを聞いたことを
思い出しながらまとめたのですが
どうも断片的で普遍性がない
そこで阿難尊者が私はこのように
聞いていますと、
聞いたことを話して
お経が出来上がっていった
ということです。
阿難尊者は
お釈迦さまに最後まで寄り添い
最期を看取られたのですが
余りにも身近にいすぎて
最後まで
さとりを開くことができなかった
といわれています。
如是我聞、と
サンスクリットから翻訳
されたのですが、
インドのサンスクリットは
とても厳密な言葉で
厳密過ぎたのでしょう今では
使われなくなってしまいました。
普通は名詞は変化しないのですが
サンスクリットは8格に変化します
主語になったり目的語になったり、
だから面倒くさいし難しい
しかし厳密といえます。
「如是我聞」の我は
主格ではなく
instrumental、具格という
~によって、ということで
ここに阿難尊者の謙虚さというか
自分を出してないのです。
自分が自分が我を張れば
いやそうじゃない
自分はこうだと
まとまらなかったと思うのです
阿難尊者は謙虚に
私によってこのように
お釈迦さまの話をこう聞いて
いますと述べられたのですね。
お経の流れでもう一つ
面白いのは
お釈迦さまが説法された場所です
普通には清らかなお浄土で
と思うのですが
欲界の他化自在天王宮中に於いて
と出てきます。
損得勘定の欲の世界で説かれた
ということが不思議なところです
弘法大師も静かに瞑想する所は
高野山で
その実践の場としては都の中心
東寺とされたのでしょう。
そして、学校の『綜芸種智院』も
東寺の隣に建設されました。
学校という場
環境のいい、見晴らしもいい
美しい山とかでは
却って勉強しないのかもしれません
市中にあって、
しかもそこを遮断のために塀を作り
世の中の雑踏から隔離する
そこに大きな意味があるようです。
お経の中に
「涅槃できる力はあるけど
涅槃せず、
かといって世間に住する
わけでもない」
というくだりがありますが、
学校も世間にあって流されず
世の穢れに染まず
本当の道を求めると
そういうことが
大事ではなかろうかと思うのです。
お経も欲界の天の世界に於いて
説かれたということも
大切な意味があるようです。
そして、
お経の最後は
「善きかな! 善きかな!」
『善哉善哉』(せんざいせんざい)
という句で終わります。
阿難尊者の聞いてこられた教えに
みなが賛同し、
間違いない間違いない、と
頷いてお経は終わっています。
あらためて見るお経の構成も
興味深く面白いものです。
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