本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

〈 答えの教学 〉 か 〈 問いの教学 〉 か

2010-10-20 21:34:52 | 住職の活動日記
 『 安田理深 』 先生の 『 不安に立つ 』 というを

行きつ戻りつしながら、読んでおります。


 東寺の宝菩提院で、三浦先生を中心に 『 十地経講義 』 が

行われていました。

 有り難いことに、お茶の当番は決まって私でした。

その時は ( 有り難いどころかとても迷惑な話で ) なぜ私ばかり

と思っていました。

 お見えになっても、全くお言葉をかけて頂くこともなく、

ひたすら 「 無言 」 の時間に耐えなければいけません。

 途中、お茶の休憩のときは、いろいろな先生方が出入りされ、

その時は、その当時の時事に関して、先生の目から見た評論が

とても面白く、講義よりも 「 今 」 に即した話で

このことを講義でされたら、眠くならないのに、と思っていました。


 ただ、一言、安田先生から頂いた言葉があります。

「 最近読んだ本で 【 高群逸枝 】 がとても面白かった。

  火の国の女で、あの燃えるような心がいいね ! 」

すると、三浦先生が

 「 この子も熊本ですよ。」

と紹介して頂きました。

「 きみは、熊本人らしくないね ! 」

という、一言で終わってしまいました。

   もう少しいいお言葉を頂けたら  

なにせ、緊張と、何を聞いていいのやら

お抹茶は身振り手振りの作法があってまだ間が持つのですが、

お煎茶になると、あのお湯を冷ます時間が何とも辛い時間でした。


 『 不安に立つ 』

また、戻ってきて 26ページです。


 「 仏教が新しくなるのには、〈 問い 〉 を

   出さんことには新しくならんですよ。

   〈 答え 〉 から出ていけば、それは注釈にいくわけです。

   注釈というのは、過去に返るわけです。

   〈 問い 〉 を出すことは、過去や現在を破って

   未来にいかなくっちゃならんわけです。

   だから教学で問題になるのは、

   〈 答えの教学 〉 か 〈 問いの教学 〉 かなのです。 」


「 答え 」 か 「 問い 」 か

この言葉が響きました。

 坊さんの悪い癖で 「 答え 」 ばっかり出したがります。

「 問い 」 をどれだけ磨いていくかということが大切なのです。


 明日は本荘小学校の2年生が訪ねてきます。

この子どもたちにどれだけ 「 問い 」 を起こせるか ?

ためになるのは、大人と違って、全く予測不能な問いを発してきます。

そこが、一番の勉強になります。


 「 なぜお寺に興味を持ったのか ? 」 も聞いてみたいところです。



 政治の世界でも 「 野党 」 が本当の 「 問い 」 をどれだけ

出せるか ?、 というかところです。

それによって 「 与党 」 も 「 政権与党 」 として

鍛え上げられて、本物になっていくと思うのですが、

難しいところです。


 人間の魅力も、どのような 「 問い 」 を持つかによって

面白くも、また、人生 豊かなものになってくる、と思いますが ???







          





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