『 安田理深 』 先生の 『 不安に立つ 』 というを
行きつ戻りつしながら、読んでおります。
東寺の宝菩提院で、三浦先生を中心に 『 十地経講義 』 が
行われていました。
有り難いことに、お茶の当番は決まって私でした。
その時は ( 有り難いどころかとても迷惑な話で ) なぜ私ばかり
と思っていました。
お見えになっても、全くお言葉をかけて頂くこともなく、
ひたすら 「 無言 」 の時間に耐えなければいけません。
途中、お茶の休憩のときは、いろいろな先生方が出入りされ、
その時は、その当時の時事に関して、先生の目から見た評論が
とても面白く、講義よりも 「 今 」 に即した話で
このことを講義でされたら、眠くならないのに、と思っていました。
ただ、一言、安田先生から頂いた言葉があります。
「 最近読んだ本で 【 高群逸枝 】 がとても面白かった。
火の国の女で、あの燃えるような心がいいね ! 」
すると、三浦先生が
「 この子も熊本ですよ。」
と紹介して頂きました。
「 きみは、熊本人らしくないね ! 」
という、一言で終わってしまいました。
もう少しいいお言葉を頂けたら
なにせ、緊張と、何を聞いていいのやら
お抹茶は身振り手振りの作法があってまだ間が持つのですが、
お煎茶になると、あのお湯を冷ます時間が何とも辛い時間でした。
『 不安に立つ 』
また、戻ってきて 26ページです。
「 仏教が新しくなるのには、〈 問い 〉 を
出さんことには新しくならんですよ。
〈 答え 〉 から出ていけば、それは注釈にいくわけです。
注釈というのは、過去に返るわけです。
〈 問い 〉 を出すことは、過去や現在を破って
未来にいかなくっちゃならんわけです。
だから教学で問題になるのは、
〈 答えの教学 〉 か 〈 問いの教学 〉 かなのです。 」
「 答え 」 か 「 問い 」 か
この言葉が響きました。
坊さんの悪い癖で 「 答え 」 ばっかり出したがります。
「 問い 」 をどれだけ磨いていくかということが大切なのです。
明日は本荘小学校の2年生が訪ねてきます。
この子どもたちにどれだけ 「 問い 」 を起こせるか ?
ためになるのは、大人と違って、全く予測不能な問いを発してきます。
そこが、一番の勉強になります。
「 なぜお寺に興味を持ったのか ? 」 も聞いてみたいところです。
政治の世界でも 「 野党 」 が本当の 「 問い 」 をどれだけ
出せるか ?、 というかところです。
それによって 「 与党 」 も 「 政権与党 」 として
鍛え上げられて、本物になっていくと思うのですが、
難しいところです。
人間の魅力も、どのような 「 問い 」 を持つかによって
面白くも、また、人生 豊かなものになってくる、と思いますが ???
行きつ戻りつしながら、読んでおります。
東寺の宝菩提院で、三浦先生を中心に 『 十地経講義 』 が
行われていました。
有り難いことに、お茶の当番は決まって私でした。
その時は ( 有り難いどころかとても迷惑な話で ) なぜ私ばかり
と思っていました。
お見えになっても、全くお言葉をかけて頂くこともなく、
ひたすら 「 無言 」 の時間に耐えなければいけません。
途中、お茶の休憩のときは、いろいろな先生方が出入りされ、
その時は、その当時の時事に関して、先生の目から見た評論が
とても面白く、講義よりも 「 今 」 に即した話で
このことを講義でされたら、眠くならないのに、と思っていました。
ただ、一言、安田先生から頂いた言葉があります。
「 最近読んだ本で 【 高群逸枝 】 がとても面白かった。
火の国の女で、あの燃えるような心がいいね ! 」
すると、三浦先生が
「 この子も熊本ですよ。」
と紹介して頂きました。
「 きみは、熊本人らしくないね ! 」
という、一言で終わってしまいました。
もう少しいいお言葉を頂けたら
なにせ、緊張と、何を聞いていいのやら
お抹茶は身振り手振りの作法があってまだ間が持つのですが、
お煎茶になると、あのお湯を冷ます時間が何とも辛い時間でした。
『 不安に立つ 』
また、戻ってきて 26ページです。
「 仏教が新しくなるのには、〈 問い 〉 を
出さんことには新しくならんですよ。
〈 答え 〉 から出ていけば、それは注釈にいくわけです。
注釈というのは、過去に返るわけです。
〈 問い 〉 を出すことは、過去や現在を破って
未来にいかなくっちゃならんわけです。
だから教学で問題になるのは、
〈 答えの教学 〉 か 〈 問いの教学 〉 かなのです。 」
「 答え 」 か 「 問い 」 か
この言葉が響きました。
坊さんの悪い癖で 「 答え 」 ばっかり出したがります。
「 問い 」 をどれだけ磨いていくかということが大切なのです。
明日は本荘小学校の2年生が訪ねてきます。
この子どもたちにどれだけ 「 問い 」 を起こせるか ?
ためになるのは、大人と違って、全く予測不能な問いを発してきます。
そこが、一番の勉強になります。
「 なぜお寺に興味を持ったのか ? 」 も聞いてみたいところです。
政治の世界でも 「 野党 」 が本当の 「 問い 」 をどれだけ
出せるか ?、 というかところです。
それによって 「 与党 」 も 「 政権与党 」 として
鍛え上げられて、本物になっていくと思うのですが、
難しいところです。
人間の魅力も、どのような 「 問い 」 を持つかによって
面白くも、また、人生 豊かなものになってくる、と思いますが ???
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