本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

宇治市民大学「室町・戦国時代を生きた人々」

2021-04-10 20:24:46 | 住職の活動日記

田端泰子先生の第2回目の講義

副題として

「足利義教の恐怖政治」

という題があげられています

 

 

とても興味深い話です

義満の子義教ヨシノリは

岩清水八幡の抽籤チュウセンで

その神意が義教と出たのです

こういう決め方も面白い

義教は征夷大将軍にもなっている

のですが、

義満と違って

自分勝手な気の赴くままの

政をしたようです。

 

足利義教の年代は

1394年から1441年

ちょうど重なるのが一休さんで

1394年~1481年です

やはり政治も乱れ世の中も

困窮を極めていたのでしょう

そういうなかで詠まれて

一休さんの歌は

その時代を反映しているようです

 

やはり、土一揆(ツチイッキ)も

起きています

しかし、

この土一揆も平和的というか

貸主・借主合意のもとに

行われたようです

ですから、無茶苦茶に暴れ回った

というのではないという

ことのようです。

 

そしてまたこの頃は

坊さんの力も強く

幕府は延暦寺を攻撃し

ついには延暦寺の僧弁澄を殺害

しています

信長だけでなく

その時の寺は僧兵を持ち

宗教と武力という強大な力を

持っていたのでしょう。

 

嘉吉カキツ元年には

京都で数万といわれる土民の一揆

が起こり、

東寺にも2,3千人の土民が籠り

一揆の勢いは京都を包囲した

いよいよ、この時

 

嘉吉の変(1441年6月24日)

この時の様子を

伏見宮貞成サダフサ親王日記

『看聞カンモン日記』には

このように記されています。

「雨。…酒宴の後、

猿楽が赤松邸で催された。

義教も招かれていた。

そのとき大声があがり、

義教は「何事か」と尋ねられた

ので、

公家三条実雅サネマサは

「雷鳴でしょうか」などと

応えたところ、

障子を引き開けて、数人の武士

出てきて「公方」を討った。」

 

「自業自得… 将軍此の如き犬死

古来不聞其例事也」

としたためておられます。

 

伏見宮貞成親王は

どちらにも属していなかったので

自由な立場でこの変の様子を

観察しておられます。

それまでの悪行は自業自得だと

誰も未練をいうものなく

「御前に於いて腹切人無し」

とありますから、

主人が殺されても誰も腹を

切らなかったということです。

 

常々からの行為

参賀に駆け付けた人に対し

「御切檻」セッカン

(所領や邸宅を没収)したと

ありますから、

貞成親王は、

「凡そ天魔の所行か、

ただ事にあらざる御陸梁云々」

と批判しています。

陸梁リクリョウというのは

「きままにふるまう」

ということです。

 

今まで知らなかった

時代の背景とかを見るようで

とても面白い講義でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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