本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

資生行

2018-03-04 17:01:02 | 十地経

お経の中には色々な企業の

名前の由来になった

言葉があるようです。

「資生堂」の名前のもとになった

のは、『法華経』にも出てきます

「資生業等皆順正法」

という言葉からでしょう。

 

その内容として、

『十地経』では

「資生行」という項目で、

「諸仏の境界蔵に通達して

魔の境界を現ずるが故に」

という難しい文章で出てきます。

インドの僧が中国語に翻訳したので

解りにくいのです。

 

やはり、三蔵法師

玄奘三蔵の訳はプロジェクトチーム

国家的プロジェクトを組んで

翻訳したので読みやすいのです。

 

「資生」ということは

生をたすけるという意味です。

「資生堂」とは

これからの女性の生活を豊かに

という願いを込めて命名されたのでは

ないかと想像しています。

 

私たちの生をたすけるのは

食物と睡眠です

食物が生命というものを持続する

資本になるわけです。

それから眠るということが

生きるためには大きな資本になる

ということです。

 

そのことを経典では

「魔の境界」

といっています。

私たちには何のことやら

と思うのですが、

安田先生は十地経という

原生林を切り開くかのように

丁寧に読み解いていかれます。

 

魔というのは誘惑でしょうね。

誘惑の対象となる、

物があれば食べたいと思う

眠り出したらきりなく眠たい

惰眠を貪るということがあります

 

この食物でもですね

胃袋はもう要求してない

だからといってもう要らん

かというと、

食べたいという要求だけはある

そこに誘惑されとるわけです

誘惑というのも

食べ過ぎると嫌になってくれると

有り難いのですが

食べ過ぎれば食べすぎるほど

食べたくなる。

 

眠りも

十分寝たらもう寝んでもいい

かというとそうじゃない

眠れば眠るほど眠たくなる

 

そういうことが誘惑がある

ということですね。

 

やはり菩薩もね、

飯も食うし、眠るというのです

大菩提心を起こした仏者でも、

仏者だから食いたくない、

そんなことはない。

この魔の境界となるような食物を

とり、

魔の境界となるような睡眠をとる

こういうわけです。

しかし、

誘惑の対象となるようなものを

とっても誘惑されないと、

それは見とるからです。

誘惑されるのは見とらんからでしょう

体は要求しとらんのに食べたい

食べたいという観念で病気に

なっとるんでしょう。

 

もっともと話しは続いていますが

「魔の境界」

という一言でも

それを読み砕いていかれる

その思考力には恐れ入ります

読んでいく私たちには

魅力でもあります。

 

 

 

 

 

コメント
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