本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

明るいナショナル!

2017-10-30 17:40:21 | 住職の活動日記

ナショナルも今はパナソニックに

以前、

ナショナルのコマーシャルソングは

「明るいナショナル」

で始まる歌でした。

三浦先生、この歌がお気に入りで

「人間明るくなければいけない

眉間にしわ寄せて、

腹に一物、手に荷物と

難しい顔して考えてるようだけど

ただ困ってるだけで

たいしたことは考えてない。」

とおっしゃっていました。

 

最近、

明るいということは

とても大事なことではないかと

思うようになりました。

 

さとった!さとった!といっても

誰がそれを証明するのか

そこで、唯識というお経には

「証自証分」(しょうじしょうぶん)

ということがあって、

自分がさとった(自証)を

自分が悟ったことをさらに証明する

ということです。

 

ジャータカというお経に

こういうたとえ話があります。

ある島に頭のはげた猿たちがいた

そこに一匹だけ頭に毛のある猿が

でてきた。

みなは、頭に毛がるといって

笑っという話ですが、

 

さとった!さとったといっても

もしかしたら自分だけが

迷っているかもしれない

そういうこともあるかもしれません

 

だから悟りを証明するには

証明する仏たちがいるわけです。

科学の世界は

一つ真理といわれることが出ても

さらにそれを証明していくという

ことが常に行われています。

 

先日の京都新聞「天眼」の欄

永田和宏先生、

ヒトの細胞は60兆といわれていた

ところが最近の研究では

37兆個ということが分かってきた

というのです。

この先生にとっては驚きであり

とても興奮し感動したと

一つの真理が証明されさらに

それを検証して行った結果

37兆個ということが分かってきた

さらに研究が進めば

また、

違った結果が出てくるかもしれません

 

それと同じように

さとったといっても

それを到達点にして固定化して

実体化してしまえば、

さとりではなくなってくる。

 

証自証ということも

常にさとったことを検証する

というか、

自証も自証して行かなければ

いけないということでしょう。

 

三浦先生から

「明るく悩め!」

ということをいわれました。

悩んだら暗くなるだろうと

どういうことなのか、と

なかなか疑問が解けませんでした

 

本当は、

明るく悩むということは

道が見つかったということなのです

普通の動物は悩みません

人間だけが悩むのです

それだけ精紳が勝れているとも

いえるのです

だから悩む道が見つかったと

その道を求めていけば

その道を歩んで行けば

暗くなる必要はないのです

何か特別なものを欲しがるから

悩むのです。

 

さとったということも

さとりを求めて道を歩む

その道が見つかったということで

知っていることは知っている

知らないことは知らない

何もそこに暗くなる必要はない

そこに一つの証明として

 

「顔が明るくなる」

 

ということがあると思います。

だから単純に

「明るいナショナル」

ということもあながち

馬鹿に出来ないことでは

ないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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