いつも危うい
道のりに立っていると
自戒して、
浮かれないことにします。
宮崎 駿
先日、文化功労者として選ばれた、
アニメーション作家で映画監督の宮崎駿さんの
受賞されたときの一言です。
この方の作品は好きで、またとても深い内容を持っている
ようにも感じます。
どことはなしに、私が感じるには
仏教的な香もするように思います。
インタビューのときの一言が耳に残りました。
なんか、ぐさりと心にくる重みのある言葉です。
普通は嬉しいはずなのに、
自分を自戒しておられるところが素晴らしい。
人間は安定したものを求めるものです。
江戸の川柳でしたか ?
「 ときは三月 花のころ
おまえ十八 わしゃ二十
死なぬ子三人 みな孝行
使うてへらぬ 金千両
死んでも 命があるように 」
というような、人間としてなんとも無理な願望が
あるようですが、
そのようにいかないのが私たちの現実です。
岡本太郎さんが、
「 変化していくからおもしろいのだ ! 」
と、おっしゃていましたが、
諸行無常ということも、そのように捉えたら面白い、
また、 「 ローリング・ストーン 」 というロックバンド、
ツトム・ヤマシタさんのお友達ということで、
よくお話も聞き、身近に感じていたのですが、
その名前も 「 ローリング・ストーン 」 ( 転がる石 )
と考えれば、ひと時もそこにじっとしていない、という
やはり、諸行無常ということに … つながるような ?
この、宮崎監督の言葉を聞いたとき思い浮かんだのが
「 行 」 ということです。
修行というと、滝に打たれたりとか、座禅したりとか、念仏唱えるとか
いろいろ、特殊に考えてしまいますが、
「 行 」 ということも宗派仏教的に考えなくて、
人間のあり方として、 「 修道的 」 ということが
本来のあり方のように思います。
道を行じていく、
楽して得したいというのが人間の本心ではなく、
本当に意味のあることなら、損してもかまわないという
そういう、道に会うことによって
本当の自分を発見したい、というのが
深い願いのようにも思います。
「 道 」 ということ、宮崎監督は
「 いつも危うい道のり 」 と表現されたのでしょう。
その道を歩んでいくには、一歩一歩
薄氷を踏むように、自戒して歩まなければいけません。
この言葉には、菩薩が仏道を歩んでいく、
そのような姿勢が感じ取れました。