『 一人だと思うのは 自分が
まぶたを閉じているから 』
森友嵐士
「 T-BOLAN 」 ( ティーボラン ) というロックバンドの
リードボーカルをつとめていた 『 森友嵐士さん 』 の言葉です。
実のところ、 「 T-BOLAN 」 というグループも知りませんでした。
その方たちの歌も聴いたことがないのです。
先日の、ドキュメンタリー番組で知ったのですが、
15年前、1995年3月、突然の 『 心因性発声障害 』 にかかられ
「 声 」 を失ってしまわれるのです。
それから15年の戦いが始まるのです。
察するにあまりあります。
私たちも、声を使わなければなりません。
もし声が出なくなったら、と考えただけでも恐ろしくなります。
お経が読めない坊さんなんて、ありえないかも、
その上お説教も出来なくなるとなれば、生命線を奪われたも同じです。
そのような状況の中、「 T-BOLAN 」 は解散、森友さんも
自分との戦い、「 孤独 」 ということを嫌というほど味わわれたことでしょう。
『 孤 』 ( こ ) ということと 『 独 』 ( どく )
ということがあります。
「 孤立 」 「 孤独 」 と、自分だけが取り残されたような
気持ちの時があります。
誰でも経験することです。 「 ひとりぼっち 」 という、
謹慎をくらって、誰も相手にしてくれない、話しかけてもくれない、
自分で自分をどうしていいかわからなくなります。
今回の巡礼でも、男性の方が一人で参加されました。
何度も何度もお誘いしたのですが、
何回か 『 行きます ! 』 と返事されるものの、
いざ ! 、 その時になると 『 やっぱり調子が悪いので … 』
お断りを入れてこられました。
娘さんの 『 行きなさい ! 』 という、強烈な後押しもあり、
やっと重い腰が上がったのです。
すると、皆さんと打ち解けて、和やかに振る舞っておられました。
… … …
お釈迦さまも一人で戦ってこられました。
そして、ついに、12月8日 さとりを開かれるのです。
『 我勝り ! 』
と、宣言されます。 『 自分が自分の煩悩に勝った。 』
そのとき、一人だったという 「 孤独 」 ということから
全世界の人類の悩みを背負って立つ 『 独立者 』 ということになったのです。
森友さんも 「 孤 」 に徹した時、
富士山の仲間たち、亀田三兄弟、同じ仲間のギターリストの五味孝さん、
友人の小山薫堂さん、そして森友さんを愛してやまないファンの方々、
がいることを雷にでも打たれるように感じ取られたのではないでしょうか。
小山薫堂さん、五味孝さんたちが仕掛けたサプライズ、
小山さんの試写会を見ようと、森友さんを引っ張り出し、
そこには試写会でなく、森友さんの歌をもう一度聴きたいという、
『 友 』 が 「 見上げてごらん夜の星を 」 を歌わせるのです。
この場面には思わず涙がこぼれました。
「 友 」 厳密には 「 サンガ 」 ともいいます。
同じ思いをもつ仲間、そしてくじけそうになった人を助ける仲間、
中国では 「 朋友 」 と言うし、インドでは 「 サンガ 」 というのでしょう。
お釈迦さまも何よりも、この 「 サンガ 」 ということを
一番大切にされたのです。
本当に 「 孤 」 に徹したとき、
ふと、目を開けてみると、そこには自分を待っている人たちがいる、
そのような場面で、森友さんから、この
「 一人だと思うのは 自分がまぶたを閉じているから 」
言葉が出たのではないかと思います。
まぶたを閉じているから 』
森友嵐士
「 T-BOLAN 」 ( ティーボラン ) というロックバンドの
リードボーカルをつとめていた 『 森友嵐士さん 』 の言葉です。
実のところ、 「 T-BOLAN 」 というグループも知りませんでした。
その方たちの歌も聴いたことがないのです。
先日の、ドキュメンタリー番組で知ったのですが、
15年前、1995年3月、突然の 『 心因性発声障害 』 にかかられ
「 声 」 を失ってしまわれるのです。
それから15年の戦いが始まるのです。
察するにあまりあります。
私たちも、声を使わなければなりません。
もし声が出なくなったら、と考えただけでも恐ろしくなります。
お経が読めない坊さんなんて、ありえないかも、
その上お説教も出来なくなるとなれば、生命線を奪われたも同じです。
そのような状況の中、「 T-BOLAN 」 は解散、森友さんも
自分との戦い、「 孤独 」 ということを嫌というほど味わわれたことでしょう。
『 孤 』 ( こ ) ということと 『 独 』 ( どく )
ということがあります。
「 孤立 」 「 孤独 」 と、自分だけが取り残されたような
気持ちの時があります。
誰でも経験することです。 「 ひとりぼっち 」 という、
謹慎をくらって、誰も相手にしてくれない、話しかけてもくれない、
自分で自分をどうしていいかわからなくなります。
今回の巡礼でも、男性の方が一人で参加されました。
何度も何度もお誘いしたのですが、
何回か 『 行きます ! 』 と返事されるものの、
いざ ! 、 その時になると 『 やっぱり調子が悪いので … 』
お断りを入れてこられました。
娘さんの 『 行きなさい ! 』 という、強烈な後押しもあり、
やっと重い腰が上がったのです。
すると、皆さんと打ち解けて、和やかに振る舞っておられました。
… … …
お釈迦さまも一人で戦ってこられました。
そして、ついに、12月8日 さとりを開かれるのです。
『 我勝り ! 』
と、宣言されます。 『 自分が自分の煩悩に勝った。 』
そのとき、一人だったという 「 孤独 」 ということから
全世界の人類の悩みを背負って立つ 『 独立者 』 ということになったのです。
森友さんも 「 孤 」 に徹した時、
富士山の仲間たち、亀田三兄弟、同じ仲間のギターリストの五味孝さん、
友人の小山薫堂さん、そして森友さんを愛してやまないファンの方々、
がいることを雷にでも打たれるように感じ取られたのではないでしょうか。
小山薫堂さん、五味孝さんたちが仕掛けたサプライズ、
小山さんの試写会を見ようと、森友さんを引っ張り出し、
そこには試写会でなく、森友さんの歌をもう一度聴きたいという、
『 友 』 が 「 見上げてごらん夜の星を 」 を歌わせるのです。
この場面には思わず涙がこぼれました。
「 友 」 厳密には 「 サンガ 」 ともいいます。
同じ思いをもつ仲間、そしてくじけそうになった人を助ける仲間、
中国では 「 朋友 」 と言うし、インドでは 「 サンガ 」 というのでしょう。
お釈迦さまも何よりも、この 「 サンガ 」 ということを
一番大切にされたのです。
本当に 「 孤 」 に徹したとき、
ふと、目を開けてみると、そこには自分を待っている人たちがいる、
そのような場面で、森友さんから、この
「 一人だと思うのは 自分がまぶたを閉じているから 」
言葉が出たのではないかと思います。