「 春彼岸 菩提の種を まく日かな 」
昔から、伝えつづけられた言葉です。深く考えるとチョッと難しい!
でも何とはなしにわかる言葉です。感覚としてというか、本能に響く言葉として。
ここでは、「 菩提 」 を ( ぼだい ) とはよませないで ( さとり )
とふり仮名をつけました。
「 菩提 」 はインドの言葉で ( Bodhi ) ボーディ といいます。
お釈迦さまが悟りを開かれたところの木を 「 菩提樹 」 というように、菩提とは
「 悟りの智慧 」、ということです。
お釈迦さまは、私たちの住んでいるこの迷いの世界を 「 此岸 」( しがん )、
と、そして、悟りの智慧をえた世界を 「 彼岸 」 ( ひがん ) と表現されまし
た。面白い喩えがありますので紹介します。
例えば、蛇とワニと鳥と犬と狐と猿と、その習性を別にする六種の生きものを
捕らえてなわで縛り、そのなわを結び合わせて放つとする。
このとき、この六種の生きものは、それぞれの習性に従って、
おのおのの住かに帰ろうとする。
蛇は塚に、ワニは水に、鳥は空に、犬は村に、狐は野に、猿は森に。
このためにお互いに争い、力のまさったものの方へ、引きずられてゆく。
ちょうどこのたとえのように、人びとは目に見たもの、耳に聞いた声、
鼻にかいだ香り、舌に味わった味、身に触れた感じ、
及び、意に思ったもののために引きずられ、
その中の誘惑のもっとも強いものの方に引きずられてその支配を受ける。
またもし、この六種の生きものを、それを丈夫な大きな柱に縛りつけておくとする。
はじめの間は、生きものたちはそれぞれの住かに帰ろうとするが、
ついには力尽き、その柱のかたわらに疲れて横たわる。
これと同じように、もし、人がその心を修め、その心を鍛錬しておけば、
他の五欲に引かれることはない。
面白い喩えだと思いますが、私たちが生きているのはまさに、この六つの生きものに振
り回されて、生きてるというのが現状ではないでしょうか。
お釈迦さまの別名を 「 調御丈夫 」 ( ちょうごじょうぶ ) とも言います。
チャリオット 御者 のことですね、つまり人間の煩悩に支配されないで、その煩悩を上
手に操っていき、人々を悟りに導いてゆくということで、悟りを開いたお釈迦さまを御者
に例えたのでしょう。
『 彼岸への憧憬 』 といいますか、彼岸の日は、彼岸の世界を心に思い浮かべる。
彼岸へ憧れる、心に彼岸が表れてくるのではないでしょうか。
自分の心に少しブレーキ踏む練習をするのも彼岸の大事な修行の一つだと思います。