毎月(不定期なんですが)、
京都より先生をお招きして『 聞法会 』を開いています。
そう、たいそうなものでなく、家族だけの聞法会です。
先生には熊本まで足をお運びいただき、有り難く思っております。
お経も 『 如是我聞 』 ( にょぜがもん ) ではじまります。
修行の第一歩は 『 聞く 』 ということから始まります。
簡単そうで大変なんです。
毎日がなんか、忙しい忙しいと、日常生活に追われてますと、
真理の声は、なかなか、心に響かないのです。 すぐ、睡魔が襲ってきます。
しかし、響く言葉にも出会うのですね。
東寺にいるとき、『 安田先生 』 という方の聞法会が毎月ありました。
一体何の話だ、とわからない、けどなんか分かる所もある。
「 そうなんだ 」と頷ける、そんなはなしだったんです。
そのあと、おでんを囲み、お酒が出ます。
そのときは、話ははなし、飲むときは飲む、飲む時にまで難しい話はせんといて、
なんで、飲みながら難しい話をするんだろう、と思ってました。
ところが、熊本に帰って何が一番寂しいかというと、心の底から話せる人がいない、
『 飲みながら真理の話をする 』、そんな世界はどこにもなかったのです。
一番嫌だった事が、一番懐かしく、一番大事なこと、なんだと気づいたのです。
いま、一番の幸せはというと、京都という遠路より足をお運びいただき、
熊本の本蔵院という地で聞法会を開いていただく、虎頭先生と一緒に聞法してくれる
家族がいるということです。
聞法会のあとの会食はどこにもない、最高のご馳走です!。
このことは、何にも増して、勿体無くも、有り難いことです。
ほんとうにありがとうございます。感謝!
京都より先生をお招きして『 聞法会 』を開いています。
そう、たいそうなものでなく、家族だけの聞法会です。
先生には熊本まで足をお運びいただき、有り難く思っております。
お経も 『 如是我聞 』 ( にょぜがもん ) ではじまります。
修行の第一歩は 『 聞く 』 ということから始まります。
簡単そうで大変なんです。
毎日がなんか、忙しい忙しいと、日常生活に追われてますと、
真理の声は、なかなか、心に響かないのです。 すぐ、睡魔が襲ってきます。
しかし、響く言葉にも出会うのですね。
東寺にいるとき、『 安田先生 』 という方の聞法会が毎月ありました。
一体何の話だ、とわからない、けどなんか分かる所もある。
「 そうなんだ 」と頷ける、そんなはなしだったんです。
そのあと、おでんを囲み、お酒が出ます。
そのときは、話ははなし、飲むときは飲む、飲む時にまで難しい話はせんといて、
なんで、飲みながら難しい話をするんだろう、と思ってました。
ところが、熊本に帰って何が一番寂しいかというと、心の底から話せる人がいない、
『 飲みながら真理の話をする 』、そんな世界はどこにもなかったのです。
一番嫌だった事が、一番懐かしく、一番大事なこと、なんだと気づいたのです。
いま、一番の幸せはというと、京都という遠路より足をお運びいただき、
熊本の本蔵院という地で聞法会を開いていただく、虎頭先生と一緒に聞法してくれる
家族がいるということです。
聞法会のあとの会食はどこにもない、最高のご馳走です!。
このことは、何にも増して、勿体無くも、有り難いことです。
ほんとうにありがとうございます。感謝!