月に一度開かれる談話サロン「草乃会」の今月のテーマは「謝罪大国」。
フリージャーナリストの國米家己三(こくまい・かきぞう)さんのお話しを聞き、
お茶をしながら、参加者で感想やら意見を自由に話し合う肩の凝らない会です。
6月から再開して、これまでの月ごとのテーマは「コロナウイルス」「コロナウイルスⅡ 日本人の体」
「日本刀」「大豆・クリ・日本人」でした。
日本という国、日本人の特性を國米さんならではの切り口で、考えるきっかけを与えてくださいます。
今回の資料の一部です。
20年前にほのぼのマイタウンに連載くださっていた時の記事コピーです。
それではこの日の國米さんのお話より・・・
・「謝意」には ①お礼の気持ち(感謝)と②お詫びの気持ち(謝罪)の2つがある。
「謝辞」も同様である、
・外国人からみて、日本人はどんな時でも「すみません」と言っている。
詫びるときだけではなく、店に入るときでも、道を尋ねるときでも、人を呼び止めるときでも
「すみません」。「どうも、どうも」と同様に「ありがとう」の意味もある便利な挨拶語。
・官庁や企業が不祥事を起こすたびに開く、公式の謝罪会見。
「申し訳ございませんでした」と黒い背広の責任者数人が深々と最敬礼する。
日経新聞に連載されている嵐山光三郎氏によると・・・あ・うんの呼吸で同時に最敬礼できるのは
何回もリハーサルをしているから。それは指揮者がいない雅楽にも似ている。
子どもに「テレビで謝罪会見ができるようなりっぱな人になりなさい」という母親もいるとか。
・日本人にとって謝るのは「潔さ」の美学であり(武士が主君への詫びとして切腹する)、
謝罪の原点かもしれない。それは日本人の遺伝子であり、一歩ひき和を至上のものとする
日本文化に根ざしているのでは。
・一方では「あやまるが勝ち」という風潮も、これは「面倒くさくならないように」?
・生まれながらに病気の5歳の男児が、世話をする母親に「ママ、生まれてきてごめんね」と
言ったとある本で読んだ時、國米さんは涙がにじんだという。私も聞いてジーンときました。
・外国で「Do JAPAN」という言葉があるとか。
これは「美しいものを創る」と、」「あやまる」という2つの意味があるそうです。
「謝罪」という言葉で私が「ほのぼのマイタウン」を発行していた頃を思い出しました。
タウン誌にとって広告を載せてくださるスポンサーは神様でした。
細心の注意を払って、広告の初校、2校、3校と広告主にも確認をしていただいていたのですが、
それでもミスが出たことが数回ありました(30年間やっていたので)。
それを印刷後発見したり、指摘されたりしたときは、もう心臓が止まりそうになりました。
何はともあれ、菓子折りを持参して謝罪に直行したものです。
ビジネスマンが虎屋の袋を持って歩いているときは、謝罪に行くとき。
と、川柳か何かで読んだ覚えがありますが、小平には虎屋はありませんし、
私は地元のお店で買ったものを重い足取りで、恐る恐るスポンサー様を訪ねました。
あれこれ言い訳はしないことに決めていましたので、こちらの不注意を心から詫びるのみです。
「長い間にはこういうこともありますよ」と大きい会社の担当の方が慰めてくださったことは
今でも忘れられません。
超零細の個人事業であることを、地元の方は理解してくださっていました。
失敗をしたことで、その方との距離が縮まることもありますよね。
「謝罪」の話から、昔のことを懐かしく思い出しました。
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