久しぶりに三河岡崎に戻ってきました。今回はかねてより是非訪れたいと考えていた瀧山東照宮をまず目指しました。
瀧山東照宮拝殿・幣殿
東照宮といえば、最も有名なのが日光東照宮、そして二番目には家康公が亡くなってすぐに埋葬された静岡の久能山にある東照宮なのですが、三番目というとかなり曖昧になってきます。前述の日光と久能山の両東照宮は家康公の亡骸が実際に運ばれたことで、お墓というイメージが強くそのために霊的な聖地として崇められているという印象があります。
しかしこの日光と久能山以外に日本全国にはなんと200ヶ所以上の東照宮が存在しているのです。家康公が立ち寄ったという理由で創った東照宮や、家康公が座った「ムシロ」を祀る東照宮など、家康公とほんの僅かでも関わりがあれば、その場所に東照宮を創ってしまったためこれだけの数の東照宮が日本全国に散在することになってしまったのです。
こうなると三つ目の東照宮を選ぶ根拠となる理由を見つけるのがかなり困難になるのですが、実はここに論理的に納得がいく理由で選ばれた三つ目の東照宮があるんです。理由は後述いたしますが、その東照宮こそ愛知県岡崎市の郊外に鎮座する「滝山東照宮」なのです。
名鉄の東岡崎駅前のバスターミナル4番乗り場から滝団地行きのバスに乗り、途中の滝団地口で下車するのが一番便利です。所要約20分で滝団地口に到着です。ここから徒歩で瀧山東照宮を目指します。
バスを降りると前方に大きな交差点がありますが、交差点を渡り直進します。前方に滝山寺の大きな山門が見えてきますので迷うことはないでしょう。この仁王門(現在修復工事中)を過ぎると右手に青木川が流れ、長閑な景色が現れてきます。緑濃い山並みに囲まれた静かな雰囲気の中で青木川のせせらぎの音だけが心地良い音色を響かせています。
バスを降りて10分ほどで左手に大きな石柱が現れます。いよいよ滝山寺と東照宮の入口に到着です。石柱には「瀧山東照宮」の文字が刻まれています。寺と東照宮へと続く道のりはかなりの段数の石段を登らなければならないことは覚悟していたのですが、鳥居から見上げるように続く石段を見てすぐにわかりました。
瀧山東照宮石柱
瀧山東照宮大鳥居
東照宮への石段
久能山ほども段数ではないのですが、やはり足腰が弱った体にはこたえます。しかし最後の石段を登りきるとそれまでの疲れが吹き飛ぶような美しいシルエットの建造物が目の前に現れます広い境内にその存在感を示すように建つのが当山、滝山寺のご本堂(重要文化財)なのですが、緩やかな反りをもつ屋根が特徴的で寄棟造、檜皮葺きの優雅な姿を見せています。室町時代の前期に建立されたもので、江戸時代のものとは建築様式があきらかに違うことがわかります。
滝山寺ご本堂
そもそも滝山寺の創建は古く、奈良時代の天武天皇の御世にまで遡ります。開基は当時の呪術者である役行者(えんのぎょうじゃ)とのこと。役行者草創の伝承をもつ寺院の多くは山岳信仰、水源信仰に関わる山寺なので、ここ滝山寺も山懐に抱かれた場所にあることから山岳信仰の場として崇められてきたのでしょう。
滝山寺ご本堂
そして時代が下り鎌倉時代には、当寺の住職である寛伝が源頼朝の従兄弟であるということから、鎌倉幕府の庇護を受け、頼朝の死後の三回忌に追善のため仏師運慶と湛慶親子に観音菩薩と両脇侍像を作らせ、現在も寺に伝わっているとのこと。その後、南北朝時代には足利尊氏の庇護、江戸時代には徳川家の厚い庇護を受けた歴史を持っています。
ご本堂内部
それぞれの時代ごとに為政者の庇護を受けた当寺には、近世の支配者である徳川家将軍家のご威光が見え隠れします。その一つに寺に寄進された鐘楼と梵鐘です。本堂に向かって左手に配置されているこの鐘楼と梵鐘は五代将軍綱吉公から寄進されたものだそうです。もちろんここ滝山寺の境内の一角に東照宮が勧請されてからの寄進なのですが、徳川将軍家が当寺を庇護していた証となるものです。その鐘楼の奥には徳川家の御紋がついた石灯篭が整然と並んでいます。
鐘楼と梵鐘
綱吉公寄進の梵鐘
鐘楼の奥に並ぶ石灯篭
それではいよいよ本来の目的である東照宮へと進んでまいりましょう。本堂と隣接するように右手に東照宮の拝殿、本殿が配置されています。日本三大東照宮の一つに数えられている社殿がいかに壮麗なのか、高鳴る気持ちを押さえつつ社殿入口の鳥居へと進んでいきます。
東照宮の鳥居
鳥居の扁額
東照宮拝殿・幣殿
拝殿の向背部分
水屋
中門
本殿
冒頭でここ瀧山東照宮が三つ目の東照宮として、それなりの論理的理由があると記述しましたが、その理由は家康公が生まれた地である岡崎城に近い場所であることなのです。日光東照宮は家康公の遺骸が最終的に葬むられている場所、久能山東照宮は駿府城で亡くなった家康公の遺骸が最初に葬むられている場所であることから、生誕の地である岡崎に将軍家が認める東照宮が置かれることはしごく自然ではないかと考えるからです。
瀧山東照宮の起源は家康公を深く崇めていた三代将軍家光公が前述のように家康公が生まれた岡崎城の近くにも東照宮を勧請したいという考えに基づき、酒井忠勝と松平正綱らに命じ、その場所の選定にあたらせたところ、岡崎郊外の古跡、名刹として名高い滝山寺が選ばれ、正保3年(1646)に創建されました。
このように肝いりで創建された瀧山東照宮なのですが、つい日光や久能山のそれと比較したくなってしまいます。見るからに日光と久能山に比べて、小振り、地味といった第一印象です。まあ、三番目というとやはり地味になってしまうのでしょうか?
東照宮拝殿・幣殿
拝殿横に並ぶ石灯篭
滝山寺境内俯瞰(右奥が東照宮神域)
それでも境内には重要文化財に指定されている拝殿・幣殿、中門、本殿、水屋が連なり、神域といった雰囲気が漂っています。各社殿の装飾や色彩は日光、久能山よりはかなり地味な感じです。
ともすれば上野の東照宮、川越喜多院の東照宮とどっこいかなといった印象です。それでも神君・家康公と深い関わりのある岡崎に祀られている大権現様に御参りできたことを幸いに思いつつ下山の途へ就いた次第です。
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瀧山東照宮拝殿・幣殿
東照宮といえば、最も有名なのが日光東照宮、そして二番目には家康公が亡くなってすぐに埋葬された静岡の久能山にある東照宮なのですが、三番目というとかなり曖昧になってきます。前述の日光と久能山の両東照宮は家康公の亡骸が実際に運ばれたことで、お墓というイメージが強くそのために霊的な聖地として崇められているという印象があります。
しかしこの日光と久能山以外に日本全国にはなんと200ヶ所以上の東照宮が存在しているのです。家康公が立ち寄ったという理由で創った東照宮や、家康公が座った「ムシロ」を祀る東照宮など、家康公とほんの僅かでも関わりがあれば、その場所に東照宮を創ってしまったためこれだけの数の東照宮が日本全国に散在することになってしまったのです。
こうなると三つ目の東照宮を選ぶ根拠となる理由を見つけるのがかなり困難になるのですが、実はここに論理的に納得がいく理由で選ばれた三つ目の東照宮があるんです。理由は後述いたしますが、その東照宮こそ愛知県岡崎市の郊外に鎮座する「滝山東照宮」なのです。
名鉄の東岡崎駅前のバスターミナル4番乗り場から滝団地行きのバスに乗り、途中の滝団地口で下車するのが一番便利です。所要約20分で滝団地口に到着です。ここから徒歩で瀧山東照宮を目指します。
バスを降りると前方に大きな交差点がありますが、交差点を渡り直進します。前方に滝山寺の大きな山門が見えてきますので迷うことはないでしょう。この仁王門(現在修復工事中)を過ぎると右手に青木川が流れ、長閑な景色が現れてきます。緑濃い山並みに囲まれた静かな雰囲気の中で青木川のせせらぎの音だけが心地良い音色を響かせています。
バスを降りて10分ほどで左手に大きな石柱が現れます。いよいよ滝山寺と東照宮の入口に到着です。石柱には「瀧山東照宮」の文字が刻まれています。寺と東照宮へと続く道のりはかなりの段数の石段を登らなければならないことは覚悟していたのですが、鳥居から見上げるように続く石段を見てすぐにわかりました。
瀧山東照宮石柱
瀧山東照宮大鳥居
東照宮への石段
久能山ほども段数ではないのですが、やはり足腰が弱った体にはこたえます。しかし最後の石段を登りきるとそれまでの疲れが吹き飛ぶような美しいシルエットの建造物が目の前に現れます広い境内にその存在感を示すように建つのが当山、滝山寺のご本堂(重要文化財)なのですが、緩やかな反りをもつ屋根が特徴的で寄棟造、檜皮葺きの優雅な姿を見せています。室町時代の前期に建立されたもので、江戸時代のものとは建築様式があきらかに違うことがわかります。
滝山寺ご本堂
そもそも滝山寺の創建は古く、奈良時代の天武天皇の御世にまで遡ります。開基は当時の呪術者である役行者(えんのぎょうじゃ)とのこと。役行者草創の伝承をもつ寺院の多くは山岳信仰、水源信仰に関わる山寺なので、ここ滝山寺も山懐に抱かれた場所にあることから山岳信仰の場として崇められてきたのでしょう。
滝山寺ご本堂
そして時代が下り鎌倉時代には、当寺の住職である寛伝が源頼朝の従兄弟であるということから、鎌倉幕府の庇護を受け、頼朝の死後の三回忌に追善のため仏師運慶と湛慶親子に観音菩薩と両脇侍像を作らせ、現在も寺に伝わっているとのこと。その後、南北朝時代には足利尊氏の庇護、江戸時代には徳川家の厚い庇護を受けた歴史を持っています。
ご本堂内部
それぞれの時代ごとに為政者の庇護を受けた当寺には、近世の支配者である徳川家将軍家のご威光が見え隠れします。その一つに寺に寄進された鐘楼と梵鐘です。本堂に向かって左手に配置されているこの鐘楼と梵鐘は五代将軍綱吉公から寄進されたものだそうです。もちろんここ滝山寺の境内の一角に東照宮が勧請されてからの寄進なのですが、徳川将軍家が当寺を庇護していた証となるものです。その鐘楼の奥には徳川家の御紋がついた石灯篭が整然と並んでいます。
鐘楼と梵鐘
綱吉公寄進の梵鐘
鐘楼の奥に並ぶ石灯篭
それではいよいよ本来の目的である東照宮へと進んでまいりましょう。本堂と隣接するように右手に東照宮の拝殿、本殿が配置されています。日本三大東照宮の一つに数えられている社殿がいかに壮麗なのか、高鳴る気持ちを押さえつつ社殿入口の鳥居へと進んでいきます。
東照宮の鳥居
鳥居の扁額
東照宮拝殿・幣殿
拝殿の向背部分
水屋
中門
本殿
冒頭でここ瀧山東照宮が三つ目の東照宮として、それなりの論理的理由があると記述しましたが、その理由は家康公が生まれた地である岡崎城に近い場所であることなのです。日光東照宮は家康公の遺骸が最終的に葬むられている場所、久能山東照宮は駿府城で亡くなった家康公の遺骸が最初に葬むられている場所であることから、生誕の地である岡崎に将軍家が認める東照宮が置かれることはしごく自然ではないかと考えるからです。
瀧山東照宮の起源は家康公を深く崇めていた三代将軍家光公が前述のように家康公が生まれた岡崎城の近くにも東照宮を勧請したいという考えに基づき、酒井忠勝と松平正綱らに命じ、その場所の選定にあたらせたところ、岡崎郊外の古跡、名刹として名高い滝山寺が選ばれ、正保3年(1646)に創建されました。
このように肝いりで創建された瀧山東照宮なのですが、つい日光や久能山のそれと比較したくなってしまいます。見るからに日光と久能山に比べて、小振り、地味といった第一印象です。まあ、三番目というとやはり地味になってしまうのでしょうか?
東照宮拝殿・幣殿
拝殿横に並ぶ石灯篭
滝山寺境内俯瞰(右奥が東照宮神域)
それでも境内には重要文化財に指定されている拝殿・幣殿、中門、本殿、水屋が連なり、神域といった雰囲気が漂っています。各社殿の装飾や色彩は日光、久能山よりはかなり地味な感じです。
ともすれば上野の東照宮、川越喜多院の東照宮とどっこいかなといった印象です。それでも神君・家康公と深い関わりのある岡崎に祀られている大権現様に御参りできたことを幸いに思いつつ下山の途へ就いた次第です。
江戸の南西裏鬼門・芝増上寺の東照宮
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