うべプラネタリアン

プラネタリウム解説の活動を通じ、いろいろ感じたことをさまざまに語りたく....

前のページが、きつかったので....(63)

2007年03月22日 23時50分24秒 | うべプラネタリアン
同じフィレンツェの写真から。
ガリレオのつくった望遠鏡の一つ。本物。
ウッフィ美術館の忘れられたような小部屋に1台、ぽつんと。
こんなものに目をとめる人は誰一人いない。
もちろん美術館内撮影禁止。そっと構えてパチリ。
ガリレオは、望遠鏡を木星に向けて、衛星の動きを観察し、地動説の確信を得た。
その記念すべき望遠鏡ではないが、彼は、望遠鏡をたくさんつくって儲けたらしい。
これはその1台だが、ルネッサンス期のふるえるような感動が伝わってくる。

うべプラネタリウムで、春分の頃の... (62-2)

2007年03月21日 16時27分45秒 | うべプラネタリアン
解説の定番は、やはり太陽の動きである。
この前のページで、春分の日は必ずしも昼夜同時間ではないと記したが、
なぜこの日を「春分」というかというと、プラネタリウムプログラムの出だしの
時の3本の線を見るとわかる。
南北を分ける子午線と、天の赤道と、太陽の通り道の黄道が全て交わるところ、
それが「春分の日の正午」だ。
殊に、「天の赤道と黄道が交わる日」が春分の考え方の大切なところで、
見かけ上の昼の長さ夜の長さは二の次なのだ。
この考え方は秋分でも全く同じ。

プラネタリウムのおもしろいのは、瞬時に、地球のあらゆるところに行けることだ。
春分(秋分)の日に北極点に立ったとして、太陽はどう動くだろうか。
南極点ではどうか。
やっとみると、笑っちゃうよ。
太陽が東から出て西に沈むなんて、たかだか我々の緯度の範囲の常識にすぎないことがよくわかる。
リクエストに応じ、やってみるから、春休みは是非おいでませ。

今日は春分の日....(62-1)

2007年03月21日 09時40分21秒 | うべプラネタリアン
昼と夜との時間が同じ日である。
昼(太陽の出ている時間)12時間、夜12時間、正確にまっ半分だろうか。
実は、日の出とは、水平線から太陽の上端が出た瞬間を言い、日没とは、上端が完全に没した時を言う。言葉の上で同じ上端としているが、円形の太陽の、日出時と日没時は違う位置だ。日出時の上端は、日没時の下端だ。
○の絵を描いて、上を“A”下を“B”と印を付けてみるとよくわかる。
つまり、太陽の幅の分だけ、昼の時間が長いことがわかる。
その上、大気差といって、ほぼ太陽の幅くらいは浮き上がって見えるので、日出時は、実際にはあがっていないのに日が射すし、日没時は完全に没しているのにまだ夕日が残って見える、と言うことが起きている。
それやこれや加えると、7分くらいは昼の方が長い。
ということは、夜がその分短いわけだから、昼夜の時間差は15分くらいあるということになる。
それでは、そうしたことを加味して、正確に昼夜同じ時間の日は3月何日だろうか。
考えてみてほしい。


うべプラネタリウムで部分日食を...(61)

2007年03月19日 19時48分25秒 | うべプラネタリアン
観測した。
天候は、曇り。全天をおおうみっしりとした雲。
日光は、強いから、日差しはあるように見えるが、太陽観測にはまるで向かない。
日食の食分は、山口で0.06とされていたが、太陽像のエッジがシャープに撮れないので、欠け具合がよく見えない。
佐野正道くんの見ている投影像が、わずか欠けているのが認められるだろうか。
この天候だったから、来館者は10名と、少なかった。


いっかくじゅう座...「児林一輝」...(C8)

2007年03月18日 21時08分27秒 | 新・星座物語
鵜の島小3年生(4月は4年)、児林一輝(こばやしかずき)くんは、4回連続参加だ。
先回来、星座物語に興味を持っていて、アルゴ船座といっかくじゅう座に食いついていた。
今日、自筆のいっかくじゅう座の物語を提示してくれた。以下ほとんど、生のとおり。

『いっかくじゅうとオリオン』
ある日、森を走っていた一角獣は、わなにかかってしまいました。
一角獣がもがいて暴れているところを、オリオンが見つけて助けました。
しかし、わなにかけられた怒りと、狩りをして動物の命を奪うオリオンへの恐れに、
怒り狂った一角獣は、オリオンに襲いかかり、激しい争いになりました。
なかなか勝負はつきません。そのうち、オリオンがよろけてこけてしまい、
一角獣が、50㌢もある鋭い角をオリオンの胸に突きつけ、とどめをさそうとしました。
オリオンは「もうダメだ」と目を閉じました。 
その時、一角獣は、オリオンにわなをはずして助けてもらって、命があることを思い出します。
ふと、静けさを感じて、目を開けたオリオンの前には、とてもやさしい目をした一角獣が、立っていました。争いの気持ちが嘘のように消えてゆき、オリオンは一角獣のたてがみをなでていました。そして「友達にならないか」と話しかけました。
その時、一角獣は耳をピクッとさせ、オリオンの前に体を向け前足をあげて思いっきり、上体を起こしました。
同時に、激しく何かがぶつかるバキーンという音がしました。
見ると、地面には、折れた矢と一角獣の角が転がって、一角獣もそこに倒れていました。
一角獣とオリオンの争いを陰で見ていた者達がいたたのです。オリオンを嫌う神からオリオン退治をするように言われていた弓矢の使い手達でした。
危ない気配を素早く感じた一角獣は、矢がオリオンに当たらないようにかばったのでした。
オリオンを囲んだ弓矢の使い手達は一斉にオリオンを狙いました。
とその時、一角獣は不思議な光を放ち、使い手達は目がくらみました。
そのすきにオリオンは太くて鋭い木の枝をへし折り、武器にして使い手達をやっつけたのでした。
一角獣の光は空へと続き、立派な角といっしょに星座になりました。
狩りをする者への怒りと、助けてもらった感謝の二つの気持ちをかかえて、
オリオンの後ろで光っています。


このお話、プラネタリウムの始まる直前にもらって、ちょうど解説の星空は
オリオンやいっかくじゅう座のところなので、使わせていただいた。
もーれつに感動した。
どうぞ、みなさま、コメントを....
一輝くんちはパソコンないようで、このブログは見られないのだけれど、反響あれば、今度の日曜にまた、プラに来てくれるらしいので、その折、伝えます。

予想外に空の状態が良かったので...(60)

2007年03月17日 23時14分08秒 | うべプラネタリアン
20㌢屈折望遠鏡を開けた。
広報にも出していない“思いつき”なので人は来ないと思ったが、
昨夜のリターンマッチの意味合いも込めて、天文クラブメンバーを中心に
呼びかけをしたら、10人近くの人が集まった。
開けて良かった。
空が実に安定していて、土星がぴしりと決まり、久しぶりにすばらしいシーイングを堪能した。
200倍まで倍率を上げてもクリアで、今宵ほどいい状態の土星は滅多に見られるものではない。
衛星も4個確認できた。カッシーニの空隙もよくみえた。
ここ(宇部市内青少年会館)では、こんなことはめずらしい。

昼間サッカーの練習をして、くたくたのはずの、和樹くんが来てくれた。
しばらく人がひいた後だったので、全く和樹くんの貸し切り。
土星をしきりにデジカメでねらっていたがどんなできばえだったやら。
彼のリクエストに応じ、オリオン星雲に振ったら、土星にいい空なら、オリオン星雲にもいい道理だ。
すごい星雲の広がりとトラペジウムの輝き。
64才とと11才が、わぁいいなぁ、ほん...とうにいいなぁ~~ と
肩を組み合うようにして 一緒に歓声を上げた。実にいい時間だった。
手持ちのコリメート式の撮影だったが、コンパクトデジカメで土星はこの程度には撮れる。

今夜は定例の....(59)

2007年03月16日 23時45分54秒 | うべプラネタリアン
天文クラブだった。この例会2時間半の時間の2/3は望遠鏡を使って、
生の星を見ることになっているのだが、まるで、曇り。
一片の星も出ていない。
薄曇りという言葉があるなら、今日は厚曇り。

代わりに「新・星座物語」の資料をまとめたので、それを基におしゃべりに終始した。
物語集の中には、新作2編も入れた。
20ページになる大部の資料になったが、ホッチキスで留めなかった。
今後増えてゆくはずだからだ。
それにしても、みなさんよくつきあってくれる。申し訳ないと思う。
でも、来週はいい天気のようだから、取り戻しのために、
星空観望会のチャンスを多く作って、いっしょに星を眺めよう。
生の星の下で話すのならなんの気苦労もないが、プラネタリウムの中では
ストレスが残る。
生の星をみるしか皆の心を引き留めるすべはない。
しかし、今日は、私の第一助手が、楽しかったよと言ってくれたので、ほっ。

偶然ということについて....(58)

2007年03月16日 00時01分45秒 | うべプラネタリアン
充分熟成させておもしろく語ることを考えねばならない。
宇宙のことを考えていたら、なぜなぜなぜ....ということばかり。
なぜこんな偶然があるのか、太陽と地球の距離が偶然1億5千万㌔だったから
水がじゃぶじゃぶ存在し、結果46億年後に私たちが存在している。
そのこと自体たいへんな偶然の、「なぜ」だろう。

なぜ、がたくさんあることは、実はうれしいことで、ご老にとっては、いつまでも若くいる秘訣の一つだし、
お若にとっては、知識の底なし沼だろう。
「なぜ」の中にある感動が、ご老とお若の共通のフィールドになる。
たとえば、土星。
望遠鏡の視野にあの姿を捉えると、ご老もお若も、なぜあんな美しくて不思議なものがあるん?と思う。
100人が100人歓声と同時に、なぜ?と首をかしげる。必ず「なぜ」がくっついてくる。
花の美しさに出会っても「なぜ」がなかなかくっついてこない。
プラネタリウムでも、天体観望会でも、なぜ、をいっしょに考えてゆくことが
私たちの今を大切にすることにつながるとおもうのだよ。

この「なぜ」のテーマはまた後日も考えよう。

“偶然”と“宇宙”のこじつけの話...(57)

2007年03月14日 21時21分25秒 | うべプラネタリアン
月と太陽の見かけの大きさが同じなのは、ただの“偶然”、
たまたまそうなのであって、“力学的な必然”はない。

月は、およそ45億年前に、地球からわかれて生まれたときからあのサイズだ。
もちろん小さくも大きくも生まれる可能性はあったが、当然ながら、今のサイズでなければ、
見かけ上太陽と同サイズにはならない。

生まれたとき2万㌔の近くにあった月は、地球の海の満ち引きをつくっているうちに、
公転スピードに少しずつブレーキがかかり、公転がゆっくりになると共に遠ざかる。
月は地球から2万㌔のところからスタートし、90億年くらいかけて、50万㌔の位置まで遠ざかる(その時は47日で公転)。
現在は、その途中の38万㌔のところにいて、27日で公転している。

つまり、あのサイズと、あの距離を生むに至った時間経過の偶然性が、
現代人にとって(あるいは人類の存在にとって)絶妙な恩恵になっているのだと言える。

ある大都会で、ばったり旧友に会ったとする。
「いやぁ、めずらしい。偶然だなぁ。何年ぶりかなぁ」などと言うが、打ち合わせて会ったのではないから、
互いの時空が、偶然、バチンとそこでクロスしたわけで、それぞれの“時”がずれても
“空間=場所”がずれても出会うことはない。偶然とは、時空の、見事な一致である。
 
「四方上下これを“宇”といい、往古来今これを“宙”という」と中国の漢の時代の百科事典にあるという。
“宇宙”とは“時空”という意味なのだ。

だから、偶然とは宇宙の絶妙な一つの出来事なのだ。
私たちの存在は、悲しいほどすごい偶然のたまもの、宇宙の一致、こよなく貴重なものなのだ。
そのことを知って、お互いを大切にしよう。

山岡さんの「月のサイズの不思議さ」の示唆もあって、昨夜来、以上の“こじつけ”を考えた。
いつか子ども達に、かみ砕いてうまく話すことにしよう。
今月は、たまたま、日食・月食の特集をしているから都合がいいかも。