うべプラネタリアン

プラネタリウム解説の活動を通じ、いろいろ感じたことをさまざまに語りたく....

今夜は定例の....(59)

2007年03月16日 23時45分54秒 | うべプラネタリアン
天文クラブだった。この例会2時間半の時間の2/3は望遠鏡を使って、
生の星を見ることになっているのだが、まるで、曇り。
一片の星も出ていない。
薄曇りという言葉があるなら、今日は厚曇り。

代わりに「新・星座物語」の資料をまとめたので、それを基におしゃべりに終始した。
物語集の中には、新作2編も入れた。
20ページになる大部の資料になったが、ホッチキスで留めなかった。
今後増えてゆくはずだからだ。
それにしても、みなさんよくつきあってくれる。申し訳ないと思う。
でも、来週はいい天気のようだから、取り戻しのために、
星空観望会のチャンスを多く作って、いっしょに星を眺めよう。
生の星の下で話すのならなんの気苦労もないが、プラネタリウムの中では
ストレスが残る。
生の星をみるしか皆の心を引き留めるすべはない。
しかし、今日は、私の第一助手が、楽しかったよと言ってくれたので、ほっ。

偶然ということについて....(58)

2007年03月16日 00時01分45秒 | うべプラネタリアン
充分熟成させておもしろく語ることを考えねばならない。
宇宙のことを考えていたら、なぜなぜなぜ....ということばかり。
なぜこんな偶然があるのか、太陽と地球の距離が偶然1億5千万㌔だったから
水がじゃぶじゃぶ存在し、結果46億年後に私たちが存在している。
そのこと自体たいへんな偶然の、「なぜ」だろう。

なぜ、がたくさんあることは、実はうれしいことで、ご老にとっては、いつまでも若くいる秘訣の一つだし、
お若にとっては、知識の底なし沼だろう。
「なぜ」の中にある感動が、ご老とお若の共通のフィールドになる。
たとえば、土星。
望遠鏡の視野にあの姿を捉えると、ご老もお若も、なぜあんな美しくて不思議なものがあるん?と思う。
100人が100人歓声と同時に、なぜ?と首をかしげる。必ず「なぜ」がくっついてくる。
花の美しさに出会っても「なぜ」がなかなかくっついてこない。
プラネタリウムでも、天体観望会でも、なぜ、をいっしょに考えてゆくことが
私たちの今を大切にすることにつながるとおもうのだよ。

この「なぜ」のテーマはまた後日も考えよう。