うべプラネタリアン

プラネタリウム解説の活動を通じ、いろいろ感じたことをさまざまに語りたく....

ソウル1「金銅弥勒菩薩半跏思惟像」...(G83)

2008年09月27日 16時06分29秒 | 仏像への憧憬
9月23~26日ソウルに行って来た。
かみさんがツアーを引き当てたからだが、
そのいきさつは前ページに記した。
ツアーの1日間のフリータイムに、2005年に新装なった
国立中央博物館に行った。
韓国自慢の国宝は「金銅弥勒菩薩半跏思惟像」ということなので
ぜひお会いしたくて訪れたのだが、さすがにすばらしく、
かみさんと二人してしばらく像の前から離れなかった。
弥勒菩薩は京都広隆寺や奈良中宮寺が有名で、いずれも半跏思惟像なので、
座って頬に手を当ててほほえんでいらっしゃるそのお姿は
共によく似ていらっしゃるのだが、私には、やはり法隆寺の百済観音と
そっくり同じに見えた。
この韓国の弥勒菩薩様が立ち上がれば、法隆寺の百済観音様だ。
これ一つとっても韓国の精神性はすばらしいものだが、国立博物館の中を
とっくりみてまわると、その文化の高さにめくるめく想いがする。
壮大な博物館が、入館料“ただ”だったことに初っぱなから大ショックを受けたの
だった。そして、フラッシュをたかなければ写真もOKなのだ。

愛宕念仏寺....(g81)

2008年02月22日 20時28分04秒 | 仏像への憧憬
寒さが西から押し寄せて、明日から冬に逆戻りとか。
今宵は、そのせいか、厚曇りだ。ひとひらの星もない。
星のない夜は、こんな語らいもいいのではないかと思いがつのり、
私の、今ひとつの強い趣味の分野、仏像探訪のカテゴリーを設けたいと考えた。
題して「仏像への憧憬」としようか。
折に触れ、ふれあった仏様への思いを語りたい。
おつきあいをよろしくとご挨拶申し上げる。

タイトルは、「おたぎねんぶつじ」と読もう。“あたご”ではない。
このお寺は、昭和平成の仏師、故西村公朝師が再興したと言ってもいい。
京都、嵯峨野の化野念仏寺を通りすぎて、一本道を更に奥に歩いてゆこう。
古い嵯峨鳥居本の町並みを経て、行き着いたところに、このお寺はある。
ここには、公朝師が指導して彫られた現代の五百羅漢が祀られている。
この冬、初めて訪れたのだが、多くの羅漢様が愉快そうに笑ってらっしゃるお姿に愕然とした。
ことごとくの羅漢様は、微笑ではなく、呵々大笑なさっている。
こんなに楽しそうなら、そちらの岸も悪くなさそうだとしっかり納得できる気がした。
嵯峨野は秋など殺人的な混みようだが、それも化野念仏寺まで。
そこから先へもう一足歩いてご覧うじろ。
国宝級の仏様ももちろんいいけれど、現代の人々が稚拙なままに、
亡き人への思いを刻んだ野の仏様は、ずしいぃんと心身に直接侵み入るのだ。