うべプラネタリアン

プラネタリウム解説の活動を通じ、いろいろ感じたことをさまざまに語りたく....

犯....(11335)

2011年11月30日 21時36分36秒 | うべプラネタリアン
太白犯太陰 と中国や日本の古記録にある。
太白とは金星。太陰とは月。金星が月を犯す..? 
月が金星を犯すなら金星食という意味で納得するが、サイズからして金星が月を食うことはない。
ならば、犯は犯すという意味ではない。古記録の天文方の「犯」とは「近づく」の意で、
いわゆる近接だ。どこぞのお粗末な防衛省局長とはちゃうのじゃ。
だから歳星(木星)犯太白などとも使う。ちなみに、食の場合は入。螢惑入太陰となれば火星食だ。
さて「犯」。
犯とは、どこまで近づいた場合をいうか。古記録と天文現象をつきあわせた結果、どうやら、
1°以下で、0.7°程度なら、立派な「犯」らしい。
ただ、時代が下がって中世になると、概念が甘くなって5~6°でも犯と言ったようなので、
近接度合いはあいまいである。

12/6 月齢11の大きくなった月と木星が5°の範囲で近接する。
まあ、歳星犯太陰と言えるかどうか... 晴れれば、観望会を開催したい。
画は「藤井旭の天文年間」からスキャン。

テラフォーミング計画....(11334)

2011年11月30日 11時04分43秒 | うべプラネタリアン
テラとは大地、地球のこと。フォーミングとは形作ることだから、地球化するという意味。
何を地球化するか、火星だ。火星の地球化計画。
とんでもないことだが、ステップはこうだ。
火星は、極寒(-130℃、平均-55℃)、酸素はない。
だからまず、巨大太陽反射板を火星軌道に投入、太陽光を集光する。
巨大温室をつくり植物を持っていって育てながら酸素を放出する。
水は地下に氷として閉じこめられているようだからそれを利用し、極冠も溶かす。
そうしたことを続けて数千年で地球化が完成する。
ばかばかしい、そんな思い上がったことをしてもいいんかいなと思うが、
あの月に足跡を残すなんて、そんなゴ゛ーマンなことを!と考えても、
いつかそれをやっちまった人類だもの、下手すりゃ何をするかわかったもんじゃない。
火星の暮らしか...“風情”はなさそうだなぁ。いくら「地球もどき」をつくっても
風情や歴史のないところでは、あたりまえだが、暮らせねぇな。
画像は、深川窯の里。

火星には、ひょっとして何らか生物がいるかもしれんぞよ。
地球化以前に、そのへんのことよくよく調べないといかんな。
その足がかりになるか、11/26 NASAは大型探査車「キュリオシティ」を載せたロケットを打ち上げ
火星に向かう軌道に乗せた。8ヶ月後(2012.8)に火星に到着するらしいが、
人の思い上がりとは別に、どんなデータが得られるのか、天文屋の端くれとしては
やっぱ ぶち楽しみ。

紅葉狩り....(11333)

2011年11月29日 17時00分49秒 | うべプラネタリアン
紅葉狩り、もみじがり、いい言葉だ。色と季節と晩秋の空気まで感じさせる。
長門湯本の太寧寺まで出かけた。ちょっと終わりかけだが、あそこの紅葉は間違いがない。
太寧寺を訪れるなら、三之瀬の深川窯の里は外せない。
太寧寺を訪れたのなら、俵山を回って帰ろうとなる。
俵山温泉にゆくなら、例のMara観音さんに挨拶せねばなるまい。
悲しい物語があるのだが、現実は含み笑いが出てくる観音様だ。画は撮っても出せない。
その駐車場に3㌔先に大内義隆郷の墓があると案内看板がある。こりゃ訪れざるを得ない。
車やっとの農道の先にその石塔はあった。
季節はずれの温かい秋の陽がふりそそいでいたが、その供養塔のまわりはひっそり寒かった。
いい一日のドライブだった。

太陽と太陰....(11332)

2011年11月28日 18時36分49秒 | うべプラネタリアン
太陽と月、陽と陰。男と女。
普通の感覚は、ヨーコンとホトでみるまでもなく、太陽が男、月が女やろ。
でも確かに天照大神は女であったし、卑弥呼も女性。
伊勢神宮が祀る神は太陽=女性だ。日本の神のルーツは女性だ。
だから、神道が女人を遠ざけるなんてもってのほか。汚らわしいなんて口が裂けても言ってはならぬ。
それにしても、いつから太陽が男になったか。
男と女しかいないなら、昼と夜、太陽と月、はどちらかでなくてはならない。
地球に、木星や土星のように月がたくさんあったら、この星の知的生命体は混乱しただろうな。
そんなことを考えるのは、やっぱ、ヒマ人かの。

日本の月の神....(11331)

2011年11月28日 16時35分11秒 | うべプラネタリアン
日本の古事記はこう伝えている。
夫婦の創造神は、夫:いざなぎのみこと、妻:いざなみのみこと。仲がいい。
二人であらゆる物を生み出すのだが、「いざなみのみこと」が火の神を生んだとき、その火で
焼けただれ死んでしまう。悲しんだ「いざなぎのみこと」は妻を捜しに黄泉の国にゆく。
そこで見た物はあまりに変わり果てた妻の姿。「いざなぎのみこと」は驚いて逃げ帰り、
黄泉の国の汚れをはらうため水辺で身を清め、左の目を洗ったとき、
太陽の女神「天照大神」が生まれ、右目を洗ったとき、月の神「月読尊(つきよみのみこと)」が
生まれた。鼻を洗ったとき「須佐之男命(すさのおのみこと)」が生まれた。
「いざなぎのみこと」は「天照大神」に天上界を、「月読尊(つきよみのみこと)」に夜の世界を、
「須佐之男命(すさのおのみこと)」に海の世界を治めるよう命じた。

さてさて、すると、日本では、ギリシア神話と違い、太陽神は女神、太陰(月)神は男神となる。
おもしろいなぁ。
ただ、夜の神は月読命で「月を読む」とは「月齢を司る」つまり「暦=時の神」であろう。
“時は夜動く”とみたのかもしれない。

女神達の競演....(11330)

2011年11月27日 21時47分40秒 | うべプラネタリアン
月の女神はアルテミス。
金星はヴィーナス、美の女神。あるいは愛の女神。
女神様お二人が間近に寄り添われるというから、かしづくつもりで、
小野田の竜王山に出向いてみたが、雲のベールの向こうにお二方とも
お隠れになって、お姿を見ること能わなかった。おそれ多くも、もつたいなくも、
ま、仕方がない。
今頃から4月まで宵の明星“金星”は観望の好期が続く。
金星に美の女神のヴィーナスが当てられたのはいい。実に美しい。
木星はジュピターだから大神ゼウス様。確かに力強さとか威厳がある。これもいい。
土星には不思議さを、火星には妖しさを感じる。水星には甘えん坊の愛おしさ。
それぞれはそれぞれにそれぞれの深い思い入れを感じるのである。

ふたご座によせて....(11329)

2011年11月26日 21時44分34秒 | うべプラネタリアン
‘Yu’くんは、ふたご座が好きだという。
私も大好きだ。好き嫌いに理由はない。強いて言えば、この点がすきだ、あのことが好きだと
好きな点を列挙することだろう。
星座神話がいい。
死と不死、愛と孤独、人の心の根元を神と人の相克の中で構築したストーリーは
なかなか哀切で、凄みすらある。
形がいい。
カストル・ポルックスの明るい星を頭にいだいて、足元に至るかすかな星の流れは
ふたごの兄弟のイメージ以外にはありえない。
秋吉台なら全体像がたどれるが、宇部の町中ではぽつぽつしかわからない。それもにくい。
大流星群の輻射点を抱いているのもいい。ふたご座流星群の極大は12月14日の深夜だ。
冬の星座であることもいい。冬の派手な星座群の中でちっとも引けを取らない存在感だ。
そして、何より、終わり姿がいい。
春5月、ふたご座は西に傾き沈む時、立ち姿になる。秋、深夜に昇り初めて冬の間中、
寝姿で横になっているが、終盤で足を下にして強く立ち上がる。
終わり姿のいい星座ははくちょう座とふたご座くらいかもしれない。

竜王山の星空....(11328)

2011年11月25日 14時52分02秒 | うべプラネタリアン
山陽小野田市の岬は狼煙の基地だったか。
古代、中世の時代、九州の事件を、下関日の山、小野田竜王山、宇部東岐波日山...とつづって
狼煙のネットワークが構築されていたに違いない。何よりその名が物語っている。
そんな小さな山(昔は島だったかもしれないが)の山頂は見晴らしがよく、景色は申し分ない。
当然、星見にも最高だ。
ただ、望遠鏡をかついで出向くとなれば、車でサイトの近くまで行きたいし、
そうなれば観光地化されていて、水銀灯やヘッドライトが邪魔をする。
そんな中では小野田竜王山は星見にも景色もいい。ことに周防灘を見下ろす南から西方向がいい。
桜の名所なので、この冬の時期は葉が落ち、眼下の工場や街の灯が邪魔になるが、
それでも便利な割に暗い方だ。
というわけで、11/27(日)の日没直後、月齢2の細い月と金星の近接を楽しむために
小野田竜王山 山頂駐車場で観望会サイトを展開する。
好天予報だから空と海の景色をカメラに収めるには絶好だろう。
星好き人よ、あつまれ。
時間帯は17:00-19:30といったところか、早い時間勝負だ。

画像は2008.12.1の竜王山からのニコニコシーン

秋吉台の星空 3....(11327)

2011年11月24日 13時48分36秒 | うべプラネタリアン
中国、漢の時代の淮南子(えなんじ)という百科事典に
「四方上下これを宇といい、往古来今これを宙という」と記されているという。
それが宇宙。“宇”が「広がり」、つまり空間。“宙”が「時の流れ」つまり時間。
宇宙とは時空である。
ちなみに「宙」を“そら”と読むのはちょい違う。意味からすれば「宙」は“とき”だ。
それはさておき、先のページで、秋吉台は太古の海と星々の語り合いの場だと記したが、
その点からすると、カルスト台地に昇るシリウスを愛でるというのは、われわれが
彼らの会話のわずかな合間にまぎれ込んで、宇宙に漂い出た、あるいは誘い出された 一瞬だということになる。
そのときわれわれは、自己中を捨てて、時空の中で自らを見直す瞬間を得ることができるだろう。
視点が遊離するよるべない心細さは、恐怖であり、喜びでもあり、寒さであり、熱さでもある。

その感覚は街中で星空を見ていたのでは、まず、わからない。
あの場所、あの時間だからこそ、空の広がりと時の流れを知ることができる。
友よ、病みつきになるやろ。

秋吉台の星空 2....(11326)

2011年11月23日 22時32分03秒 | うべプラネタリアン
“ことのは”さんのすばらしいブログのページにコメントを寄せながら、
改めて気付くことや思い出すことがある。

カルスト台地は、そうだ、膨大な珊瑚の墓場なんだ。
だからだ。
そこで星を見つめていると、一種不思議な心のざわめきを感じるんだ。
たしかに、あそこの夜風は、人間の生まれるずうぅぅぅっと前から流れていた。
時間の化石といったふうな...
人をつつむ冷気は、そのためか、胴ぶるいがくるようで、尋常じゃない。

むかし、取引先の遠来のお客様を秋吉台と秋芳洞に案内したことがある。
それはいつものことで、今でも会社の担当者にとつて案内先の定番だが、
あるお客さんが秋吉台に立って「ああ、ここは水の山なんですね」と言った。
草原は阿蘇と似ているが、阿蘇が火の山とすれば秋吉台は水の山ということだろう。
そのときは水の山という表現が大いに気に入ったものだ。
たしかに、高原はなだらかで優しく、うねりやさざ波も感じられ、
ドリーネが渦なら、石灰岩はさだめし波頭だろう。
そうだ、秋吉台は海の化石なんだ。
凍りついた太古の景色といったふうな...

風がわたり雲がながれ、夜になると、海と星は思い出語りをしているんだ。

(画像はある夜の秋吉台、しゃぁさんのブログから借用)