山口日記

その日を記し、その日を残し、来るべき日を見据え、来るべき日を迎えるために。

外見(そとみ)

2008年01月28日 | 日記
すごい悔しい思いをしてる。でも、それをぶちまけるだけの裏づけを持った行動をしていない。日々の生活がいかに大切かを痛感し、自分の軽率さに後悔する。そして停滞する。このサイクルから抜け出すためにとりあえずアクションを起こす。はじめの一歩というやつか。今その一歩を踏み出すときが来たと、なんとなく感じている。そこには裏づけはないけれど、きっと今なんだと思う。

先日友人と「赤信号みんなで渡れば怖くない」という言葉が、日本人の潜在的な心理を分かりやすく表し、非常識を笑ったはずなのに、いつの間にかそれが常識になっているという話をした。確かにそう思う。具体的に赤信号の話ではなく、刺激を与える非常識は、裏づけのない真似事で常識化され、その根底にある精神ではなく、その非常識な行動だけが取り残される。世代から世代へと受け継がれるときに顕著にそれが起こるのだろう。生でその刺激を感じていない人間に、裏づけされた精神まで伝えるのは困難なんだろう。今わたしは目標や夢を語れる人間が、能力のある人間であるという評価がはびこった組織に居る。ひけらかすことなく謙虚にひたむきに自分の目標を追う人間は、日の目を見ようという努力をしなかったと切り落とされる。どちらがいいとか悪いとかは思わない。しかし、人間を見る際に、どのように表すかでなく、どのような物を持っているのかを見れない人間にはついて行こうとは思わない。




今日、ものすごい肩書きを持つ人間と対面した。仕事での話。私の中では、肩書きを持つにはそれ相応の力を必ずどこかに持っていると考えている。それが金やコネといったものであったとしても、それが力であるように。しかし、対肩書きであればそんな力でも通用するのかもしれないけれど、ヒトに対してそれは通用しない(するヒトも確かに存在するけど)。子どものようにふてくされ、ヒトになんて思われようがやりたいようにやるその姿に私は嫌悪感を感じた。しかも、その人は二日酔いで眠たそうな顔をして、私の組織のトップの人間に会うにもかかわらず、若作りしてローライズのダメージジーンズにファーが付いた黒いレザー調のジャンパーを着て登場し、おまけにチャックが全開で私たちに挨拶をした。笑うしかないわ。誰が付いていくんだ。どのみち一緒に仕事をしないといけないから挽回期待します。さて、私はどこを見て人間を判断しているのでしょうか。今のままじゃあ外見なんでしょうか。ヒトをひきつける人間は、ヒトをひきつける外見を持ち合わせているとおもうけどな。

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1 Comments

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Unknown (d.f.)
2008-02-14 10:51:32
お前のように常に本質を見抜こうとする努力ができるかどうかが人の価値の大きなところを占めている気がする。周りに合わせるだけならサルや魚でもできるからな。
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