志方町をゆく(88) 綿の里(4) 木綿の江戸積のはじまり
姫路藩の専売制度は、文化7年(1810)にはじまりましたが、木綿が江戸に送られたのは文政3年(1820)で、専売制実施の10年後のことでした。
そして、翌年の文化4年、城下の綿町に専売品取扱機関として御国産木綿会所(おんこくさんもめんかいしょ)が設けられました。
御国産木綿会所は、高砂の岸本吉兵衛などの6人衆や姫路城下の有力商人などによって運営されました。
この御国産会所の下に姫路藩江戸積仲間が置かれましたが、それに参加したのはほとんど城下・飾磨の商人で、高砂商人の参加はみられません。
長束木綿の大坂積
姫路木綿は、加古・印南郡で生産される木綿で、長束木綿(ながそくもめん)といいます。
その実数は、天保7年(1836)の調査によると、姫路領内で長束木綿が150万反あまりで、近隣藩からの買い入れ分を加えると、約200万反にも達しました。
当時、城下の木綿問屋が江戸に積み出した木綿・200万反うち30万反程度で残りの85%は長束木綿問屋が大坂や他領へ販売していました。
専売制度実施当時、大坂積木綿は圧倒的な割合でした。
この長束木綿を江戸積みの統制下に置くために、国産会所の下部機関として長束木綿会所が設置されました。天保7年のことでした。
*写真:国産木綿会所跡:広島銀行姫路支店のある一角に小さな案内板と石碑があります。名残の建物は戦時中に空襲で焼失。