ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

志方町をゆく(88) 綿の里(4) 木綿の江戸積のはじまり

2023-05-03 10:11:27 | ぐるっと高砂

         志方町をゆく(88) 綿の里(4) 木綿の江戸積のはじまり

 姫路藩の専売制度は、文化(1810)にはじまりましたが、木綿が江戸に送られたのは文政3年(1820)で、専売制実施の10年後のことでした。

 そして、翌年の文化年、城下の綿町に専売品取扱機関として御国産木綿会所(おんこくさんもめんかいしょ)が設けられました。

 御国産木綿会所は、高砂の岸本吉兵衛などの人衆や姫路城下の有力商人などによって運営されました。

 この御国産会所の下に姫路藩江戸積仲間が置かれましたが、それに参加したのはほとんど城下・飾磨の商人で、高砂商人の参加はみられません。

        長束木綿の大坂積

 姫路木綿は、加古・印南郡で生産される木綿で、長束木綿(ながそくもめん)といいます。

 その実数は、天保(1836)の調査によると、姫路領内で長束木綿が150万反あまりで、近隣藩からの買い入れ分を加えると、約200万反にも達しました。

 当時、城下の木綿問屋が江戸に積み出した木綿・200万反うち30万反程度で残りの85%は長束木綿問屋が大坂や他領へ販売していました。

 専売制度実施当時、大坂積木綿は圧倒的な割合でした。

 この長束木綿を江戸積みの統制下に置くために、国産会所の下部機関として長束木綿会所が設置されました。天保年のことでした。

 *写真:国産木綿会所跡:広島銀行姫路支店のある一角に小さな案内板と石碑があります。名残の建物は戦時中に空襲で焼失。

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