神野町をゆく(31) 万才池の研究(2)・綿が売れなくなる
「万才池の研究(2)」も、前回紹介した『小学校社会四年上)」(学校図書)からの転載です。
児童がおじいさんに質問しています。
・・・「万才池は、この辺りでは一番高いところにある。高いところに池をつくれば、近くの田んぼ全部に水を送れる。その代わり低いところに流れている曇川の水を、池まで上げるのがたいへんだよ」
「万才池ができるまで、この土地では何を作っていたんですか」
「水がないので、畑にしかならなかったんだよ。そして、そこで作っていたのは、あわ・ひえ・そば・まめや芋だったな。売れるものでは、綿をつくっていた。
ところが綿も、だんだん売れなくなったので、次第に米をつくろうとする家がでてきた。
でも、米を作るためには水がいるし、水を貯める池もいる。池をつくるにはたくさんのお金がかかる。
・・・・村の人は、何度も何度も寄り合いをして、とうとう池をつくることにしたということだ」
・・・先生は「発表の中に綿をつくってもさっぱり売れなくなったと言うところがあったね。こういうことなんだよ」と次のように話してくれました。
「明治になってから、それまで、糸車や機織機を使って手でつくっていた糸や布を、蒸気で動かす機械を使ってつくるようになったのだよ。
綿もインドやアメリカのものが安く買えるようになったので、これまでのように農家から買わなくなったんだよ」
*挿絵:棉
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