志方町をゆく(51) 高御位山物語(10) 神々のイサカイ!
『峰相記(みねあいき)』という本があります。
著書は「峰相山鶏足寺(けいそくじ)」の某僧となっていて名前はわかりませんが、鎌倉時代末期から南北朝のころまでの播磨のようすを知る貴重な本です。
さまざまな、話が取り上げられていますが、高御位の神様の話があります。
湊神社(姫路市的形)の宮司、神栄宣郷が『郷土志(15号)』で、鎌倉時代の民衆の信仰としてこの話を取り上げられています。
ここでは、さらに平易な文にさせていただきました。
ちょっと、ユーモラスは神様たちの物語です。
神々のイサカイ!
石の宝殿(生石神社)の神様は、むかしから、「生石子(おおしこ)神」と呼ばれていました。
峰相記に「陰陽二神としてあらわれたまう・・・」とあって、生石子神は女神で、高御位の神様は男神で、この二人の神様は夫婦でした。
ところが、ここに日向大明神という、それは美しい女神が美しい侍女をたくさん伴って、加古の浜辺へご上陸になりました。
高御位の神様は、日向大明神やお供の侍女たちの美しさにびっくりして、とうとうご自分の所へ招待されました。
このありさまを知った生石子神は、カンカンになり承知なさるはずがありません。
“怒り”がおさまりません。
美しい日向大明神を、川向うの山(日岡山)へ追いやると同時に、侍女たちを別にして泊神社(現:加古川町木村)へ押し込んでしましました。
この高御位の神と生石子の物語は、どこか俗っぽい話で、およそ神様らしくない話です。
こんな話からも神と共に笑い、共に泣いた中世の人々の気持ち、考え方が伝わってきそうです。
(注)
日岡神社は、「日向神社」と呼ばれており、現在の「日岡神社」に名前を変えたのは明治3年(1870)のことです。
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