平荘町・上荘町をゆく(37) 白沢(2) 渡来人
「白沢」について石見完次氏は、『古地名新解』で、次のように説明しておられます。
文章を一部書き直して紹介させていただきます。
・・・「白沢」は、天和八年(1622)、ここに白沢新村が開かれたが、白沢の地名は、それ以前からあったらしい。
近年の調査では、奈良時代から約100年間、この谷で土器(スエキ)が焼かれていたことがわかった。
シラサワの語源については、シラが問題で「シラ」は新羅人(渡来人)のことで、ここに渡来人の窯人がいたと考えられる。
この山間の古道は、加古川を遡ってきた古代人が入りこんだ道であろう。
シラサワの北にある来住村(キシムラ:小野市)のキシは新羅国の官位の名称であるし、点在する古窯は、朝鮮技術のある窯人がひらいたものと考えられる。
点在する古窯跡から須恵器が見つかっているが、5号窯から写真のような人形が発見された。
高さ12cmの人形である。頭部は扁平な笠をかぶっている。中国・朝鮮の貴婦人のようである。
右肩から紐が垂れている。おそらく太鼓をぶら下げていたのであろう。どこか大陸につながる雰囲気の人形である。
白沢は、「新羅(シラ)」の人が須恵器を焼いていた場所であったと思われる。
「沢」は流れのある谷間の意味である。とすると、「白沢」は渡来人のいた谷間を意味する。
ここには、渡来人の伝承が残っていた・・・
*『古地名新解』(石見完次著)・『加古川市史(第四巻)』参照
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