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社会理論・現代思想を主に研究する今野晃のblog。業績については、右下にあるカテゴリーの「論文・業績」から

匿名性の社会空間?

2005年10月30日 | 社会問題
 昨今のネット上における様々な出来事を考えると、匿名性というのは社会秩序を崩壊させる一要因なのかもしれない、と思ってしまう。そうは言っても、私は全く「秩序派」ではないが(笑)。
 個人が常に匿名でしかない空間では、〈責任〉なるものが発生せず、〈責任〉が発生しない以上、倫理が要求されることもない、という「仮説」も可能かも。あくまで仮説だが。

 ネットという社会空間は、新しい様式を備えた空間であるがゆえに、それに見合った新しい〈倫理〉を考える必要があるだろう。言い換えると、もし、〈倫理〉なるものを問いかけるとすれば、それはその〈倫理〉が措定される社会空間の諸性質と不可分な以上、あくまでその「社会空間の中の〈倫理〉」として考える必要があるだろう。ネット上のパーソナリティーにも同じことが言えて、そのネット上の社会関係の中でこそ生まれるパーソナリティーは、現実社会においてその当人が持つパーソナリティーとは、相対的に自律した存在なのだ。

 以前、イラクに行った高遠さん達が人質にとらえられたとき、ネット上で「自作自演説」や「自己責任論」が蔓延したが、それを見ていて、「この(世論というか噂というか、の)動きをとらえられる方法があれば、面白い研究になるかもしれない」と思いついたことがある。結局それは「思いつき」で終わってしまったが。
 しかし、この、ネットという社会空間が、現実社会と取り結ぶ「相対的自律性」に注目するのであれば、そうした「動き」の片鱗をとらえられるかもしれない。「固有名が課せられる場合の個人の行動様式」と「匿名性が保持される場合の諸個人の行動様式」の差異を測ることが出来れば、それも面白い分析が出来るかもしれない(掲示板で誹謗中傷的な発言ばかりをする人間が、日常生活ではむしろおとなしい人であることも、多々あるように思われる)。

 ただし、この手の「研究」は、個人が取り組んだところで「とんでも研究」になってしまうorそのようにしか理解されない、可能性が高いが。しかし、私個人としては、大々的なプロジェクトというかたちで立ち上げれば、そうした「とんでもさ」は、払拭出来ると思っている。社情研あたりで、「ネット空間における倫理の可能性」といったタイトルで、COEプロジェクトとして立ち上げれば、そのおもしろさから意外に採用されるかもしれない(笑)。[あくまで冗談だが]

 などとまあ、とりとめのない考えを巡らせたのだが、そのとりとめのない考えを、とりとめもなく書いてしまった(苦笑)。

 なお、「匿名性というのは社会秩序を崩壊させる一要因なのかもしれない」と冒頭で言ったが、ある学生運動の組織は、デモの解散の際には、人混みの中で、歩きながらヘルメットやマスクをとるのだとか、以前聞いたことがある。参加者個人を特定されないための方法なのだろうが、やはり、匿名性は他方で、社会転覆の武器なのかもしれない(苦笑)

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