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社会理論・現代思想を主に研究する今野晃のblog。業績については、右下にあるカテゴリーの「論文・業績」から

フェルメール・オランダ・スピノザ、そしてマルチチュード:映画『真珠の耳飾りの少女』

2005年08月29日 | 映画
 映画「真珠の耳飾りの少女」をビデオで見る。最近見た映画の中では、もっとも興味深かった部類に入る映画。そして、これを見ていて、少し元気になった(理由は後述)。映画のストーリーについては、こちらを見て頂くとして、映画の舞台となっているのは、1665年頃のオランダ。そして、おなじくオランダで生活したスピノザが『エチカ』を書き上げるのが、1672年である。フェルメールは、レンブラントと同時代の画家で、オランダ風俗絵画の巨匠の一人であるが、周知のようにこのオランダ風俗絵画はそれ以前の絵画と違い、日常生活の中にある煌めきをその題材とする。そうした「志向」には当時のオランダ社会の状況が背景にあった。国際貿易によって商業が発達し、人々の往来が盛んになる。その中で、商人が新興階級として台頭してくる。

 近年ネグリが援用するスピノザの「マルチチュード」概念は、こうした社会背景の中から生まれた概念である。そうした意味では、ネグリの帝国論、あるいはマルチチュード論を理解する上でも、この映画を見ることは役に立つかもしれない。無論、この映画は、当時の生活様式を忠実に描いており(冒頭の、食事の準備をする場面での「切れ味の悪いナイフ」の描写、そしてのナイフで手際よく食べ物を切り分けてゆく手さばきの描写が素晴らしい)、スピノザの時代背景を知る上で、非常に役に立つことは言うまでもない。
 なお、この映画では、フェルメールがカメラ・オブスクラを用いている場面が出てくるが、粉川氏が、その書評でこれに注目しているのは、いかにも氏らしい。なお、このカメラ・オブスクラにもレンズが使われいるが、スピノザが生計を立てたのも、レンズ職人としてであった。

 この映画で素晴らしいのは、当時の階級社会、とりわけその庶民階級を忠実に描いている点であり、そしてその中でヒロイン役のグリートを演じるスカーレット・ヨハンソンが美しく描かれている点である。当時の社会で、使用人とその主人を隔てる階級差は厳然たるものであった。そして、その境界の外に閉め出された使用人のグレートが、美しく描かれいること、この点は、私に救いを与えてくれるように思われた。

 無論、映像美としても秀作ではあるだろうが、いくつか、どこかで見たことがあるようなファミリアルな構図のシーンが鏤められていたが、そしておそらくはフェルメール自身あるいは他のオランダ風俗画家の構図のコラージュなのだろうが、美術に疎い私には、「ファミリアル」であること以上には感知出来なかった。

 それからもう一つ。グリートを演じるスカーレット・ヨハンソンは、非常に美しく映画の中で描かれているが、実際のフェルメールの『真珠の耳飾りの少女』(映画のエンディングに出てくる)とは、やはり距離感があるように思われた。また、映画の中では、モデルとして身に纏う群青のターバンの姿よりも、日常の使用人の姿の方が美しいように思われた。この点は、絵画のそのままの映像化を期待するフェルメール・ファンには不満かもしれないが、しかし、私にはむしろ好ましいものに思われた。日常への注目という風俗絵画のエッセンスは、絵画として描かれた表象よりも、その生活そのもの(あるいはこう言って良ければ、「生活様式」)にこそ輝きがあることに注目する点にあるからだ。

 映画のこうした点を見て、私は少し元気になった気がした。

 ただし……、現代のオランダ社会は、映画で描かれるような、あるいはスピノザの時代にあったような「新しい伊吹」を感じる社会では、ないだろう。伝統的には新しく定住する住民(移民)に対して寛容であったはずのオランダは、現在、欧の中で有数の外国人排斥勢力の強い国になっており、モスクなどの焼き討ちもまた、珍しい出来事ではないからだ。(まあ、スピノザがマラーのであったことを考えると、当時からしてすでにそうだったと考えることも可能だろうが)

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1 コメント

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Unknown (jun)
2019-01-13 17:09:04
フェルメール展を見て、NHKのエチカに学び、読書会仲間の刺激を受け、こちらに参りました。日本の戦国時代や明治維新だけの大河ドラマでは哲学が必要と思いました。
私も元気が出まして、有難うございました。
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