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社会理論・現代思想を主に研究する今野晃のblog。業績については、右下にあるカテゴリーの「論文・業績」から

デュルケムと宗教

2011年04月02日 | 読書
 先ほどFournierが書いたデュルケムの伝記Emile Durkheim : 1858-1917
を読んでいた。

 これは私が現在考えていることなのだが、デュルケムにとって宗教というのは、それほど自明な主題ではなかったのではないか? という考えを持っている。まだ「アイデア」にすぎず、確固たる根拠を持っているわけではないが。

 一般には、ユダヤ人であり、父親はラビであり、そのデュルケムが『宗教生活の原初形態』を著したとなれば、彼にとって「宗教」とは、必然的に扱う問題だったと考えるられている。ただ、このFounierの本を読むと、事はそれほど簡単ではないことがかいま見えてくる。実際、彼は少年時代カトリックの学校に通っていた(彼が生まれたエピナルは、カトリックが強い土地であり、当時ユダヤ社会は根付いていなかった:彼の父親がユダヤ教の浸透という目的のためにエピナルに赴いた)。また、コレージュで彼はカトリックの教師から大きな影響を受けたという。さらに、この時期彼は父親と同じようになることを嫌っていたという。(実際にはもっと複雑で、タルムードに親しんでいた時期もあるようでもある。ただし、デュルケム研究者に中には、彼がラビの学校に通ったという「仮説」を立てているものもいるようだが、事実は違うようである。エピナルやこの地方にはそのような学校がそもそも存在していなかった。)

 もう少し書きたいことがあるのだが、続きは次回。


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1 コメント

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Unknown (Small Pond)
2011-05-14 09:38:55
ご無沙汰しています。仰るとおり、ひとつのシンボルのもと部族社会が統合されるのは何ともカトリック的です。さらに言うならば、ウェーバーのセクト論は神の二王国論的であり、マルクスは千年王国論の世俗版(善と悪の最終戦争ののちにユートピアが訪れる)ですよね。
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