私の研究の中心は、アルチュセールの社会理論だが、最近は、アルチュセールの文献のみでなく、彼が依拠するマルクスの文献、またマルクスの社会背景である19世紀の歴史などについての文献を直接読む機会が多くなっている。
それどころか、アルチュセールの文献よりも歴史の文献の方を多く読むときもある。まあ、これは、アルチュセールが自らの理論を展開する際に、言外に依拠するコンテクストを知るためでもあるのだが。 . . . 本文を読む
以前、定期的に参加させて頂いている研究会で、赤堀三郎先生が社会システム論の枠組みを使いながら、ネット上での「炎上」というか、「うわさ」の広がりについて分析の報告をしていた。
それについて、私は、エドガー・モランの『オルレアンのうわさ』を下敷きにしつつつコメントさせてもらったのだが、『オルレアンのうわさ』では、うわさは、男性の場合よりも女性の場合の方が広がりやすいという指摘がされている。これだ . . . 本文を読む
なんか、大げさなタイトルをつけてしまったが、それほどたいした話ではない。
下の、ケトレーの本を読んでいて考えたことである。
Physique Sociale: Ou, Essai Sur Le Developpement Des Facultes de L'Homme, Volume 1クリエーター情報なしNabu Press
ケトレーの本に言及する前に、一つだけ前提として説明させもら . . . 本文を読む
複数的人間: 行為のさまざまな原動力 (叢書・ウニベルシタス)クリエーター情報なし法政大学出版局
ポストブルデューの社会理論として仏で注目されているライールだが、先日聞いていたブルデュー没後10年のラジオ番組で、彼自身がブルデューとの関係を説明していた。
Hors-champsという番組で、私はポッドキャストで聞いたのだが、ネット上で公開されていたのではないかと思う。
そこで彼が言う . . . 本文を読む
sociologieという語の最初に用いたのは?
社会学の世界では、コントが社会学sociolgoieという言葉を最初に作ったとされている。これは、彼の主著『実証哲学講義』の第四巻、第47講で、sociologieという言葉を導入し、それに註をつけて、自分がそれまで使ってきた社会物理学という表現と厳密に同じ意味を持つものとしてこの新しい言葉を用いると記している。
ただし……。以前のエントリ . . . 本文を読む
現在、パスカルとブルデューの関係について論文を書いている。以下はその中のアイデアの一つ。パスカルのパンセには、有名な断想がある。
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人間はひとくきの葦に過ぎない。自然の中でもっとも弱いものである。だが、それは考える葦である。彼を押しつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼を押しつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだ . . . 本文を読む
現在ある必要があって、いわゆる百科全書のsociété、socialに関連した項目を読み直している。
18世紀の仏語なのだが、日本の辞典は総じて古い用語法の説明も網羅しているので、問題なく読める。
これと関連してだが、以下の本が日本語で読める。
社会 (思考のフロンティア)クリエーター情報なし岩波書店
日本における社会概念の変遷、また西欧のsocial概念の変 . . . 本文を読む
これまでルソーの論文を執筆していたのだが、ここでは論文に入れられなかった主題を紹介。
ルソーとフェミニズムについて。一般的にルソーに対してどういうイメージを持っているか、実は私はわからない。とりわけフェミニズムとルソーの関係について。
ルソーにおいて女性の地位向上運動については、非常に評価が悪い。エミールの第五巻で女性について言及があるのだが、これは今日的に言えば、女性蔑視の教育論が展開 . . . 本文を読む
先日、仏のあるセミナーで行われたハーヴェイの講演の動画を紹介したところ、「ハーヴェイ 動画」という検索ワードで、このblogを訪問した人がいた模様である。
が、私が以前リンクを紹介したのは、資本論第二巻を扱ったものであり、おそらく上の検索用語で探していた人がほしかったのは、次のものではないかと思う。
Reading Marx's Capital Vol I with David Harve . . . 本文を読む
私は理論的な研究を主題としているが、昨今は、様々な意味で理論研究に対しても、社会に「役立つこと」が求められる。
「役立つ」と言っても様々であり、社会運動に貢献すること、政策的な有効性なども「役立つこと」である。
ただし、「役立つ」からと言ってそれが本当に役立つのかは、別の話である。あえてわかりにくい表現をしたが、短期的に有効なことが、必ずしも長期的に有効なこととは限らない。あるいは、一つ . . . 本文を読む
仏の教養ラジオ局francecultureに、hors champsという番組があるのだが、少し前に、ブルデュー没後10年の特集週があり、著名な人々が彼の研究・人物について論じていた。
シャルチエ、エリボン、ボルタンスキー、ベルナール・ライールなどの豪華な人々が、ブルデューについて論じている(仏語)。
以下のリンクから、エリボンの回の放送分のページにジャンプする。 hors champs . . . 本文を読む
最近の私の主題が、socialという語(仏語)であることは、ここ何度かのエントリーで書いている。
で、こうした考察の「とっかかり」としては、原語の辞典を調べるのが常道である(ただし、あくまで「とっかかり」であって、それ以降は、より詳しい文献や検討が必要になる)。
で、このsocialという語について、Petit Robertでは、現在の用法(「社会科学」と言った意味で使われる用法)は、1 . . . 本文を読む
最近論文を書き進めようとして、なかなか進まないでいる。論文という分量で書くことが出来る以上にあれこれ調べて、結局は文章がうまくまとまらないからである。
で、分量の問題で削らざるをえないことや、論旨を損ねるために削らざるをえないことを、この場で書いてしまおうと思った。
まずは、société 概念やsocial概念の起源について。
social概念の経緯につ . . . 本文を読む
今論文を書いているのだけれど、なかなか進まないので、この場で少しアイデアの整理を。
主題とは少々別なのだが、今考えているのはsocial概念がいかに生まれたかということ。
百科全書で、ディドロとダランベールは、socialという形容詞について、「最近新しく導入された言葉」と説明している。つまり、それまでのsocial概念は、集団や団体という意味でのsocieteに属するものをあらわす言葉 . . . 本文を読む
昨年末にあったある研究会の話である。長い間休眠状態にあった研究会だったが、久しぶりに開催され、ある先生に久しぶりに会った。その方は、最近仏社会学に興味を持たれているようで、そういう話になった。
そこで話題になったのが、デュルケムについて。デュルケムがユダヤ系であるという話は、日本の社会学でもよく知られている話である。ただ、そこで佐藤さんは、デュルケムの出身がロレーヌであることに注目していた。 . . . 本文を読む