今回のエントリーでは、ギデンスの『大欧州』について、話をしようと考えたのだが、その前にある前提知識を知ってもらえればと思い、jpgファイルで読み取ったグラフを見てもらいたいと考えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/45/a19f782a999af1eb27ec64da954536e5.jpg)
このグラフは、Dolvik, J-E & Martin , A. ed. 2015 European social models from crisis to crisis, Oxford univ. press、(312ページ)にあるグラフである。グラフは、欧州諸国における人々の福祉政策への寛容度と賃金格差の相関を示したものである。縦軸は、各国国民の社会政策への寛容度、そして横軸は賃金格差である(数値化の数式については当該の文献を参照して欲しい)。
でまあ、一般的に言えるのは、福祉政策への寛容度と賃金格差には逆相関が見られ、福祉政策への寛容度が下がれば、賃金格差も広がることになる(いくつかの例外もあるが)。それから80年代から2000年代にかけて、多くの欧州諸国で、福祉政策への寛容度が下がっていて、賃金格差が拡大していること(おそらく、人々がそれを受け入れていると考えられる)。これを、この時期、欧州諸国がネオリベ化したと言うこともできるのではないかと、私個人は考えている。
でも、さらに注目すべきは、デンマークやオランダの変化、それから特異なイギリスの変化。
デンマークやオランダは、この時期、「積極的労働市場政策」としてフレキシキュリティを実施しているが、福祉政策への寛容度がそれほど下がっていないが、賃金格差はかなり拡大していることである。フレキシキュリティは、労働市場の活性化にともなって、転職が多くなる人々に対して、職がない期間の保証をする政策だが、福祉政策が格差是正に貢献するのではなく、むしろ逆の結果をもたらしていると考えることができる(なお、ここで係数として扱っているのは「寛容度」であって、予算や政策の中身ではないので、そのつもりで。政策の中身や予算規模は、各国でまちまちなので数値化して比較するのは難しいのではないかと考える)。
さらに特異なのは、イギリスで、福祉政策への寛容度が上がっているのに、賃金格差も拡大していることである。つまり、両者が正の相関を見せている。
詳しくは、次回に説明したいが、ギデンスの言う「社会投資国家」がこうした帰結になるのであれば(というか、現実にはそうした帰結になっているのだが)、彼の主張は再考すべきものではないのだろうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/45/a19f782a999af1eb27ec64da954536e5.jpg)
このグラフは、Dolvik, J-E & Martin , A. ed. 2015 European social models from crisis to crisis, Oxford univ. press、(312ページ)にあるグラフである。グラフは、欧州諸国における人々の福祉政策への寛容度と賃金格差の相関を示したものである。縦軸は、各国国民の社会政策への寛容度、そして横軸は賃金格差である(数値化の数式については当該の文献を参照して欲しい)。
でまあ、一般的に言えるのは、福祉政策への寛容度と賃金格差には逆相関が見られ、福祉政策への寛容度が下がれば、賃金格差も広がることになる(いくつかの例外もあるが)。それから80年代から2000年代にかけて、多くの欧州諸国で、福祉政策への寛容度が下がっていて、賃金格差が拡大していること(おそらく、人々がそれを受け入れていると考えられる)。これを、この時期、欧州諸国がネオリベ化したと言うこともできるのではないかと、私個人は考えている。
でも、さらに注目すべきは、デンマークやオランダの変化、それから特異なイギリスの変化。
デンマークやオランダは、この時期、「積極的労働市場政策」としてフレキシキュリティを実施しているが、福祉政策への寛容度がそれほど下がっていないが、賃金格差はかなり拡大していることである。フレキシキュリティは、労働市場の活性化にともなって、転職が多くなる人々に対して、職がない期間の保証をする政策だが、福祉政策が格差是正に貢献するのではなく、むしろ逆の結果をもたらしていると考えることができる(なお、ここで係数として扱っているのは「寛容度」であって、予算や政策の中身ではないので、そのつもりで。政策の中身や予算規模は、各国でまちまちなので数値化して比較するのは難しいのではないかと考える)。
さらに特異なのは、イギリスで、福祉政策への寛容度が上がっているのに、賃金格差も拡大していることである。つまり、両者が正の相関を見せている。
詳しくは、次回に説明したいが、ギデンスの言う「社会投資国家」がこうした帰結になるのであれば(というか、現実にはそうした帰結になっているのだが)、彼の主張は再考すべきものではないのだろうか?