最近の私の主題が、socialという語(仏語)であることは、ここ何度かのエントリーで書いている。
で、こうした考察の「とっかかり」としては、原語の辞典を調べるのが常道である(ただし、あくまで「とっかかり」であって、それ以降は、より詳しい文献や検討が必要になる)。
で、このsocialという語について、Petit Robertでは、現在の用法(「社会科学」と言った意味で使われる用法)は、1 . . . 本文を読む
季節外れの話だが、イスラム教には犠牲祭というのがあり、12月中旬に行われるらしい。そこで羊などを捧げるのだが(つまり自分で「潰す」らしい)。
仏でも多くのイスラム教徒がいるが、彼らは団地住まいなどで、捧げられる動物をおとす場所がないので、バスタブなどで行われることがあり、動物の悲鳴や物音などで近所迷惑になることもあったらしい(最近ではあまりないようだが)。
で、これはこの前の正月の時、親 . . . 本文を読む
podcastでdu jour au lendemainという仏のラジオ番組を聞いていたら、司会のAlain Veinsteinが、ゲストに「音楽を聴くには、音楽を聴かねばならないか?」という質問をしていた(かなり前に放送[配信]された番組であるが)。
私は、これまたなんて質問をするんだ? と思ったのだが、そのゲストは、
「例えば、暗闇の中にともる明かりの下で本を読んでいる時、字を読むの . . . 本文を読む
最近論文を書き進めようとして、なかなか進まないでいる。論文という分量で書くことが出来る以上にあれこれ調べて、結局は文章がうまくまとまらないからである。
で、分量の問題で削らざるをえないことや、論旨を損ねるために削らざるをえないことを、この場で書いてしまおうと思った。
まずは、société 概念やsocial概念の起源について。
social概念の経緯につ . . . 本文を読む