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社会学的方法の規準

2005年07月06日 | 読書
 この著作は、社会学という社会科学が成立しようとしていた時代に、その学問としての科学性を確立せんがために著した著作です。ここで説明されているのが、「社会的事実をもののように扱う」という彼の有名な社会学的態度です。
 ということで、社会学をこれから勉強しようと思っている人には、社会学という科学がいかなる苦難の道を経つつ、その科学性に関わる議論を進めてきたのかを知るために最良の著作でしょう。 以上が、初学者向けの説明。

  ただし、この著作、社会学の「科学性」を頑なに主張したがちがちの「科学主義」的な著作ではありません。デュルケムは気付いておりませんが、彼の主張する「科学性」には時代的制約が影響しており(彼が依拠する科学のそれとは、生物学のそれ)、ただしそうした制約に誠実に向き合う彼の姿勢、洞察の深さには学ぶべきところが多いと言えるでしょう。
 また、「社会的事実をもののように扱う」というテーゼも、当時の仏では物議を醸したのですが、このテーゼ、一見すると、デュルケムが冷徹な客観主義を目指したことの表明と思われるでしょうが、実際はそういうことではありません。主観を離れた認識が可能であると、デュルケムが考えていたかどうか、この点は非常に微妙な点です。いかなる主観性とも切り離した〈客観的〉認識が可能であると、彼が考えていたと思えなくもない叙述もありますが、そうした叙述はたいていの場合、観念的な哲学的内省との関連で(これを批判しつつ)提起されています。これを当時大きな影響力を持っていたマッハ主義との関連で考察するならば、デュルケムの認識観は、認識の外部に実在を措定している、という、それだけのことのみを言及しているにすぎない、と理解できなくもありません。

 つまり彼の認識観は、主観と切り離された客観を求めるのではなく、あくまで主観に足場をおきつつそこからわれわれの外部にある実在にふれんがために、その閉鎖的な認識観の枠の外に出て行ったのだと。そして、それ以上でも、それ以下でもないのだと。(ちゅうか、このネタで一本論文書きたいと思っています(;^_^A アセアセ…)。

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社会学的方法の規準

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2 コメント

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ぶんしゃかのみ (伊奈正人)
2012-11-01 14:22:22
伊奈ッス。ごぶたたしてるっす。金曜2限超絶人気のぶんしゃかでございましたが、ひかるおふしたい、ぶんしゃかおふしたい、との声が多く寄せられ、コメントしてこいと、パシリにされた次第。またメールもしくはツイッターなどで連絡できればと思います。前向きにご検討いただけましたら、幸いです。ただし、座布団とかは喰いません(←本人の証明w)。
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是非 (Konno)
2012-11-03 00:26:57
blogにコメント、ありがとうございます。先生のblogもいつも拝見しております。是非、そういう機会を設けたいと思います。詳しくはメールにて。
今後ともよろしくお願いします。
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