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社会理論・現代思想を主に研究する今野晃のblog。業績については、右下にあるカテゴリーの「論文・業績」から

9月11日

2008年09月11日 | 社会問題
今日は9月11日。そういえば、昨日は親しかった友人の誕生日。ここ最近何も贈っていなかったので、今年は何か贈ろうか?

それはいいとして、9月11日というと、やはり2001年9月11日の同時多発テロ、それもNYのWTCに飛行機が突っ込んだことが想起されるのではないかと思う。いままであまり気づかなかったが、その前日が誕生日だというのも、災難かもしれない。

日本であれば、あまり9.11への思い入れも強い人は、そう多くないと思う。私の場合、2001年9月11日は、仏留学をはじめて2週間あまりたったばかりで、そういう意味では忘れることのできない出来事であった。ただし、とうの土地の米でも、テレビなどの報道で見る限りでは、人々の間でその記憶は薄れているというから、日本ではあまりかえりみられていないというのも当然だと思う。

おそらく、仏でも同じだろう。ただ、彼女の父親は軍人なので、9月11日という日には、それなりの感覚があるのではないか。まあ、詳しく話したことはないのでよくわからないが&仕事の中身は家族にも多く話せないと思うが。

でも、ソマリアの件では作戦の指揮に当たっていたと、彼女に話したこともあるらしい。それから、彼女は生粋のパリ育ちだと思っていたのだが、小学校の頃は仏領ポリネシアにいたらしい。「すごく気候がよくてのんびりしていた」とその頃のことを語っていたが、それって時期的にやばいときにいたのではないか? と思ってしまう。それから、ソマリアについても、そんな危険なことでは? と。

いずれにしても、こういう風にして、世界とつながっていることを私は感じる。

9.11についてもそうで、私が滞在していた仏自体は、同時テロの対象ではなかったが、パリ自体では町で何度もテロが発生していたこと、また、私の周囲にはアラブ系の友人が多かったこともあり、「9.11の影響」を様々な形で感じてきた。

たとえば、9.11後、さほど時間がたっていない時期に知り合った仏育ちのアルジェリア人は、大きい荷物を持って私が留学した先の町に移動してきたのだが、駅でいきなり身体検査をされ90分も荷物などをひっくり返されて検査されたと怒りをぶちまけていたことがあった。

これだけだと、あまりにも悲観的すぎるので、別の話を。数日前からイスラム教ではラマダンに入っているが、NHKBSで放送されていた仏のニュースでは、ラマダンの始まりが比較的好意的な視点で報道されていた。数年前ではなかったことである。たとえば、誰もがラマダンをしなければならないのではなく、成長期にある小さい子供はしないこと、あと、病人などもラマダンをしなくてもいいことになっている。

そういえば、上の仏育ちのアルジェリア人の友人、今考えると私と一緒にビールをがぶ飲みしていた(笑)。そう考えると、アラブ系の人々にもさまざまな人がいるということであろう。(ちなみに、イスラム教ではアルコールそのものが禁止されているのではなく〔ただし飲酒自体を避ける傾向が昨今では強いが〕、アルコールを飲んで悪事をすることが禁忌ならしい)

いずれにしても、「枠に当てはめたイメージ」で人や物事を判断すべきではないという例だと思う。

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