シュトレークの著作について、続きを。
この著作は、ハバーマスの社会理論が70年代以降の資本主義を自明の前提としているとして、それが現在の社会を是認することになったと批判している。これにたいして、ハバーマスは、その内容について批判するのではなく、シュトレークの分析が事後的であり、当時の同時代性を忘れていると反論している(どこでそう言っているかは、後ほど追記したい)。
(ちなみに、ハバーマスは、マルクスの『ブリューメル18日』を引き合いに出しつつ、シュトレークも歴史を事後的に裁いていると言っているのだが、これはハバーマスがマルクスの『ブリューメル18日』を評価していないことを示しているのだろうか? それとも事後的な分析であることを単に言っているだけなのだろうか?)
で、ハバーマスの「反論」がシュトレーク批判になっているかは別として、なぜ70〜80年代を通して、現在の社会で主流となる「新自由主義革命」を、人々が是認していったのか? という問いにシュトレークは答えていなくて、ただし同じことは、シュトレークに批判された側のハバーマスにも言えることである。つまり、70〜80年代に当時の資本主義を自明の前提とし、それがもたらす負の側面を見落としていたのか? という問いかけをハバーマスには自らにして欲しいと考えている。
ちなみに私自身の現代の問題関心は、アルチュセールの社会理論は(70年代の資本主義を共有していないので)、同時代的に当時の資本主義を批判し得たことである(論文化に奮闘中 苦笑)。
私自身の問題関心は良いとして、70〜80年代の社会変化をなぞりつつ、なぜ一部の人々に富が集中し、また「労働規制緩和」のかけ声の下に劣悪な雇用環境が社会的に拡大してきたかを検討する上で、この著作は非常に有効である。
この著作については、まだ書きたいことがあるのだが、それについてはまだ次回。