短編小説「さなさん」で、作られた「命の水」(絵のタイトル)です。
今は、森の奥深くわずかに水が湧いています。
そんな歴史の遺物として小説の中で取り上げています。
広島市内から水道が引かれ、今では単なる泉です。
テレビで、「原爆の必要性」と「天安門事件の真相」を観た。
原爆は、ドイツより先に完成されなくてはと始められた。
戦線拡大するドイツは、原爆製造にかける費用を捻出できる状態ではなくなった。
最後まで残った日本が、原爆投下の標的となった。
原爆を戦争で使うことで、抑止力として働き、世界平和を実現できると原爆投下の意味はすり替えられた。
中国共産党は、少数の幹部の権力維持のため軍隊を使って百万の人が参加するデモを蹴散らした。
無抵抗の市民に発砲する軍人たちも苦しんだ。
中国の一党独裁政権は今も続く。
どちらの報道も事件や事実から半世紀以上経過している。
歴史を語らせたくない一部の人たちによって国家機密とされ闇に葬られた。
今日のタイトルは、「人生は一本の線」です。
プロフィールの最後に、クエスチョンマークがつくと、その人のすべてがおかしいものになる。
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がある。
私はいじめられた経験がある。体力のある者が、無抵抗の私の首を絞め、投げ続けた。
周りで、手を叩いている人がいた。体力がついた後は、そんなことはない。
50年の時を経ても、その人たちに会うと嫌な気持ちになる。
そういう私も立場を利用して、あるいは姑息に同じようなことをしています。
人生の汚点を消すことはできない。
ドラマ「まれ」で、田中裕子さんが言われていました。
「若い時のどろどろは、歳をとれば笑い話」とうそぶけるほど強くなっています。
永く生きることは悪いことばかりでもありません。
感覚が鈍くなったのか、その頃の自分を許せるようになるのか。
事実と受け止めるしかありません。
歴史を消すことはできない。一方だけに良い歴史も存在しない。
毎日、私の歩く後に航跡が続きます。
迷っていたり、まっすぐだったりします。
小さい頃に夢を抱く、大きく人生はうねるものの、概ね抱いた夢に沿って生きている。
好きも嫌いも、尊敬も軽蔑もいつしか自分の中に作られていく。
それからフリーになることはかなわない。
知らなかった事実に向き合うことで、霧が晴れ、自分も変わることができるかもしれない。
「人生は一本の線」です。
若い時のどろどろが、年をとって笑い話になるよう、自分を鍛え励まして生きたい。
天才も 凡才になり 渋紙に
2021年2月5日
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