駄楽器駄日記(ドラム、パーカッション)

ロッキンローラーの打楽器日記

ボクのビートルズ(続・続) リンゴ・スター「イエロー・サブマリン」からの「ユア・シックスティーン」(73’)

2021年03月16日 | 駄日記
リンゴ・スター ユア・シックスティーン


3月16日(火) 本日のJOG=45分
中学生の頃のボクがビートルズと遭遇した話をまたひとつ。
ポールとジョージに続いて思い出すのは、残念ながらジョンじゃなくてリンゴでした。
ビートルズが解散したのが1970年で、ボクは中学1年生の多感な頃でした。中学生になってから家のラジオを自分の寝床に持ってきて独占するようになった。
たぶん2年生の時だったか、当時はビートルズのことはそんなに知らなくて、ポールもジョンもジョージも区別がついていなかったんだけど、リンゴだけはドラマーという匂いというか、なぜか知っていた。

その出会いは、当時流行りの深夜放送のオールナイトニッポンだった。
覚えているDJは、カメカメこと亀淵昭信さんとかアンコウこと斉藤安弘さん、テツこと今仁哲夫さん、あとは糸居五郎さんぐらいかな。
そのうちのだれの曜日だったか覚えていないんだけど、たぶん糸居さん以外のパーソナリティだと思う。
そのDJは「ザ・ビートルズのイエロー・サブマリン」と紹介して曲が流れた。
曲が終わったあとで、彼は「イマイチな曲だよね」とつぶやいて、次の話題になったが、何となくショックだった。
ボクも正直、当時好きだったヒットソングと比べても、イエロー・サブマリンは「イマイチ」感があったけれど、それを「言っちゃうんだ!」っていう驚きがあったので覚えている。
そんなことがあって、ビートルズ名義の曲として最初に記憶に残る曲は「イエロー・サブマリン」だったけど、その時は好きになったわけじゃなかった。

その後、リンゴはソロアルバム『リンゴ』(73’)を発表するんだな。
このアルバムがなかなかお洒落で日本でもヒットした。中でも、ジョージ・ハリスンとの共作による「想い出のフォトグラフ」、オールディーズのカバ―曲「ユア・シックスティーン」が全米チャートでNO.1を記録するなど話題となった。
日本のラジオでもこれらの曲が流れて、自分は「ユア・シックスティーン」が気に入って、のちにアルバムを買いに行くことになるのです。
74年に発売されたシングル盤ではなく、アルバム『リンゴ』として買いました。

そんなわけで、ボクのビートルズとの出会いのリンゴ・スター編は、「イエロー・サブマリン」からの「ユア・シックスティーン」でした。


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