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安土考古学博物館~「武将たちは何故、神になるのか ―神像の成立から天下人の神格化まで―」~

2018-05-31 19:03:33 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 かつて織田信長の安土城が建てられていた安土山の麓には“文芸の郷”という文化ゾーンがあり、「安土城天主信長の館」(観光展示施設)や「文芸セミナリヨ」(コンサートホール)、体育館やテニスコートが並ぶゾーンとなっています。
その一角に“安土考古学博物館”があり、今回は春季特別展として「武将たちは何故、神になるのか ―神像の成立から天下人の神格化まで―」が開催されていました。



構成は“仏像彫刻に始まり、神像彫刻の成立、神道曼荼羅・懸仏の神仏習合、貴人・高僧の神格化、天下人(信長・秀吉・家康)の神格化”へと展開されていきます。
個人的に興味深かったのは神仏習合思想の彫刻や絵画になりますが、通常は見る機会の少ない文化財が数多く展示されていたのは収穫でした。

そもそも神道曼荼羅は見る機会はほとんどありませんし、神像にしても一般公開されているものは少ない。
また、このところ関心を持っている懸仏が11躰も展示されていたのは嬉しい限りです。



神像は平安時代に始まった本地垂迹説により誕生したとされていますが、仏像が彫刻として発展・進化していったのに対して、神像が発展していかなかったのはなぜなのでしょう。
ある意味で神を偶像として祀るのは畏れ多いといった畏怖心があったのでしょうか?

神像彫刻は人型のシンプルな造りのものが多く、自然の樹木や岩などを神の依り代としてきた神々の姿と考えるには馴染めないという思いの方が先にたってしまいます。
とはいえ、神像の中には「伝女神座像(八尾市 壺井八幡宮・1354年南北朝期)」という、像内に千体地蔵菩薩の巻物が納められていた像があり、神仏の一体化がみられる展示物もありました。



期待に違わぬ懸仏11躰の中には“地蔵菩薩・阿弥陀如来・如意観音・大日如来・十一面観音・薬師三尊”と多彩な仏と神とのコラボレーションがみられます。
時代も“平安期・鎌倉期・南北朝期・室町期・江戸期”と各時代を網羅するような懸仏が一同に揃います。
これほど多くの懸仏が見られるのは博物館ならでは。寺院では見られるところもありますが、神社ではほぼ非公開ですからね。

貴人・高僧の人物像は室町期が多いように思いましたが、人物像は寺院でよく見られるため馴染みはある像です。
信長・秀吉・家康の三天下人の像は、権力の象徴のような像や絵画で、秀吉は“豊国大明神”へと、家康は“東照大権現”へと神格化されて鎮座しておられます。



安土考古学博物館の正面玄関からは信長が安土城を築いた安土山が展望できます。
当時の安土山の周囲は、琵琶湖へと続く巨大な大中湖(戦後に干拓された内湖)に囲まれた水運の利便性と京都に近い要衝だったとされます。
2020年の大河ドラマで光秀が取り上げられて光秀が再評価されそうですが、信長の方も近年評価が見直されてきていますね。



安土山には安土城築城に伴って、信長が建立した「遠景山 摠見寺(臨済宗妙心寺派)」の寺院が残されていますが、信長は城下の安土町にも「浄厳院(浄土宗)」を建立しています。
元々は近江守護:佐々木六角氏の菩提寺の「慈恩寺威徳院(天台宗)」があったようですが、兵火によって消失した慈恩寺の跡地に浄厳院として開山された寺院とされています。



田園が点在する車1台がやっと通れるような道を進むと寺院があり、その場にあるのが不思議なくらいの立派な楼門と幾つかの堂宇が並ぶ寺院があります。
浄厳院は、信長の命によって行われた浄土宗と法華宗の宗論(安土宗論)の舞台として有名ですが、真意については諸説あって分かりにくい話となっています。

楼門には阿吽の金剛力士像が安置されていますが、楼門が桃山時代(1555年)に建築されたものであることから、その時代に造られたものかもしれません。
迫力のある仁王像ですが、吹きっさらしの門の中に置かれて痛まないのか変な心配をしてしまいます。

 

 

境内には不動堂・釈迦堂・観音堂・書院・庫裡が並び、袴腰付の鐘楼が背景になんの障害物もない農村にそそり立ちます。
梵鐘には1741年銘があり、鐘楼も同時期のものだと推定されているようです。



本堂は1572年建立の重要文化財の建物で、近江八幡市多賀町のあった興隆寺の弥勒堂を移築したものと伝わります。
御本尊は、平安時代の丈六の阿弥陀如来坐像(重文)が安置されているといいますが、予約拝観の寺院ですので堂内の様子は不明です。



安土考古学博物館の「武将たちは何故、神になるのか ―神像の成立から天下人の神格化まで―」に展示された織田信長像は前期後期通じると4幅・1躰の信長の姿があります。
浄厳院からも「織田信長像」1幅と「織田信長坐像」1躰が展示されており、安土の地と信長との深いつながりの痕跡が今も残ります。



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